12.02.04 アメリカ村
名古屋市科学館が昨年3月にリニューアルされてから
プラネタリウム入場者が50万人達成されたニュースが最近あった
科学館は、オイラ高校生のときにバイトをしていたことがあったので
馴染みがあり、ちょっぴり嬉しいニュースでもあった
その科学館の存在する「白川公園」は、昭和17年に「紀元二千六百年事業」で
寺町であった当時の“栄区”白川町一帯に「防空公園」として計画された
(“栄区”ってのが気になったのだが、それは後日の課題とする)
昭和20年3月には名古屋を襲った空襲により、あたり一帯は焦土となり
終戦後は連合軍により接収された

そして、白川公園一帯は“アメリカ村”とよばれる在日米軍の住居地となる
・・・キャッスル・ハイツと呼ばれたらしい

入江町通り(現在のハミルトンホテル栄あたり)にアメリカ村の北側ゲートがあり
周囲には、キャバレーミカドや映画館などが存在し
米軍と市民が一緒に遊興できる地域でもあった
昭和22年の地図

昭和33年に米軍より返還となり
以後は都市公園として整備され、昭和37年「市立名古屋科学館」が開館する
昭和38年の航空写真

白川公園に出かけてみた

前週降った雪がまだ残っている

遺構らしきものは跡形もないことは事前確認済みなので、まったりと散歩してみる

しばらくはホームレスのテントや小屋の展示場となっていたが
平成17年、愛知万博開催を機に、大規模な撤去作業が行政代執行として行われた
現在も、ちょこっと残る

さて、今日のお昼ごはん
久しぶりに“あんかけスパ”を食してみたくなり、栄のお店に寄ってみた

四半世紀(25年)以上も前からお世話になっているお店だ
前菜のポテトサラダ

そして配膳された“あんかけスパ”

この暴力的な“食感”が他の追随を許さないだろう

オイラは一貫して「ミラネーズの1.5」で通している
満足してお店を出る

そんな「名古屋めし」の一画を担うお店は
■店名:スパゲッティハウス「ヨコイ」(住吉店)
■住所:愛知県名古屋市中区栄3丁目10-11【地図】
■定休日:日・祝
■営業時間:11:00~15:40と17:00~20:40
■食べログのサイト
本日の走行距離:35km
本日の食費:900円(ミラネーズ1.5)
プラネタリウム入場者が50万人達成されたニュースが最近あった
科学館は、オイラ高校生のときにバイトをしていたことがあったので
馴染みがあり、ちょっぴり嬉しいニュースでもあった
その科学館の存在する「白川公園」は、昭和17年に「紀元二千六百年事業」で
寺町であった当時の“栄区”白川町一帯に「防空公園」として計画された
(“栄区”ってのが気になったのだが、それは後日の課題とする)
昭和20年3月には名古屋を襲った空襲により、あたり一帯は焦土となり
終戦後は連合軍により接収された

そして、白川公園一帯は“アメリカ村”とよばれる在日米軍の住居地となる
・・・キャッスル・ハイツと呼ばれたらしい

入江町通り(現在のハミルトンホテル栄あたり)にアメリカ村の北側ゲートがあり
周囲には、キャバレーミカドや映画館などが存在し
米軍と市民が一緒に遊興できる地域でもあった
昭和22年の地図

昭和33年に米軍より返還となり
以後は都市公園として整備され、昭和37年「市立名古屋科学館」が開館する
昭和38年の航空写真

白川公園に出かけてみた

前週降った雪がまだ残っている

遺構らしきものは跡形もないことは事前確認済みなので、まったりと散歩してみる

しばらくはホームレスのテントや小屋の展示場となっていたが
平成17年、愛知万博開催を機に、大規模な撤去作業が行政代執行として行われた
現在も、ちょこっと残る

さて、今日のお昼ごはん
久しぶりに“あんかけスパ”を食してみたくなり、栄のお店に寄ってみた

四半世紀(25年)以上も前からお世話になっているお店だ
前菜のポテトサラダ

そして配膳された“あんかけスパ”

この暴力的な“食感”が他の追随を許さないだろう

オイラは一貫して「ミラネーズの1.5」で通している
満足してお店を出る

そんな「名古屋めし」の一画を担うお店は
■店名:スパゲッティハウス「ヨコイ」(住吉店)
■住所:愛知県名古屋市中区栄3丁目10-11【地図】
■定休日:日・祝
■営業時間:11:00~15:40と17:00~20:40
■食べログのサイト
本日の走行距離:35km
本日の食費:900円(ミラネーズ1.5)

12.01.08 加納城跡(陸軍司令部)
現在の加納城は、関ヶ原後に徳川家康の命で岐阜城が破却となり、その代わりに築城され
以降、明治の廃藩置県の廃城令まで、加納藩主の居城となっている
なので「お城」としては、“戦”を経験しておらず興味は無いのだが
加納城本丸跡は、昭和14年に陸軍第51航空師団司令部が置かれ
戦後連合軍の接収を経て、昭和37年から昭和50年まで春日井駐屯地に移転するまで
陸上自衛隊第10対戦車隊の駐屯地となっていた
昭和23年の司令部

昭和50年の陸上自衛隊(建物がそのまま使われたのがわかる)

わかりやすそうで、わかりにくい加納城跡公園に到着

建物は破棄されており、唯一残されているのが、この門柱

陸軍時代の「門柱」と「庁舎」

航空師団司令部に相応しい建物であったことがうかがい知れる
当時の図面(クリックで拡大)

現在は石垣に囲まれた岐阜市民の憩いの場となっている

通用門にも、その面影が残る

昭和58年に、本丸跡が国の史跡に指定されるのだが
案内板には「軍」が置かれていたことが、一切載せられていない

まるで「そんなの、無かったよ」とでも言いたげな印象を受けた
・本日の走行距離:43km
以降、明治の廃藩置県の廃城令まで、加納藩主の居城となっている
なので「お城」としては、“戦”を経験しておらず興味は無いのだが
加納城本丸跡は、昭和14年に陸軍第51航空師団司令部が置かれ
戦後連合軍の接収を経て、昭和37年から昭和50年まで春日井駐屯地に移転するまで
陸上自衛隊第10対戦車隊の駐屯地となっていた
昭和23年の司令部

昭和50年の陸上自衛隊(建物がそのまま使われたのがわかる)

わかりやすそうで、わかりにくい加納城跡公園に到着

建物は破棄されており、唯一残されているのが、この門柱

陸軍時代の「門柱」と「庁舎」

航空師団司令部に相応しい建物であったことがうかがい知れる
当時の図面(クリックで拡大)

現在は石垣に囲まれた岐阜市民の憩いの場となっている

通用門にも、その面影が残る

昭和58年に、本丸跡が国の史跡に指定されるのだが
案内板には「軍」が置かれていたことが、一切載せられていない

まるで「そんなの、無かったよ」とでも言いたげな印象を受けた
・本日の走行距離:43km
11.10.23 小牧基地航空祭
今日は「小牧基地航空祭」だった
ご近所なので、とりあえず出かけてみた
オイラ“古い”建造物や飛行機や四輪などの筐体には惹かれるものがあるのだが
“新しい”ものには、あまり興味が沸かない
プロペラの戦闘機でもあれば、ウキウキとでかけるのだが
あいにく、小牧基地では「現行輸送機」が主役である
(それでも、30年ほど前のが“現行”なのだが)
それはそれで“お国のため”に頑張っていただいているので
是非とも応援したいのだが
いかんせんモチベーションが高まらない
遠出が出来ない日曜日、とりあえずでかけてみた
四輪の駐車場はないが、バイクは宿舎裏の駐車場へ案内される
エンジンを止めて、押し歩きは当然の措置だ

正門から少々の“上り”になっているので、セローで来て正解だった

地元住民のご迷惑になるため「ブルーインパルス」の公開飛行は中止されているが
あいかわらずの人気ぶりである
(正門では「左翼絡みの住民団体に公開飛行がジャマされた」と訴える集団あり)
「KC767」のお出迎えである

だが、オイラのお目当てはコイツだ

大戦中の“掩体壕”である
2年前にも同様に訪れ、今回は近づくことを期待していたのだが
数百メートルの距離からの遠望となった
この他にも“放射台”の跡とかも存在することを聞いていたのだが
さすがに、これ以上に立ち入りは無理だと判断
ちなみに、現役の“掩体壕”(っていうのかわかんないが)はこれだ

“お楽しみ”のベクトルを変更した

「祭」といえば“屋台”
最近では、各地の“B級グルメ”の需要が多いらしい
「豊川いなり寿司」「厚木ホルモン」「富士宮やきそば」「COCO壱カレー」を楽しんだ
ご近所なので、とりあえず出かけてみた
オイラ“古い”建造物や飛行機や四輪などの筐体には惹かれるものがあるのだが
“新しい”ものには、あまり興味が沸かない
プロペラの戦闘機でもあれば、ウキウキとでかけるのだが
あいにく、小牧基地では「現行輸送機」が主役である
(それでも、30年ほど前のが“現行”なのだが)
それはそれで“お国のため”に頑張っていただいているので
是非とも応援したいのだが
いかんせんモチベーションが高まらない
遠出が出来ない日曜日、とりあえずでかけてみた
四輪の駐車場はないが、バイクは宿舎裏の駐車場へ案内される
エンジンを止めて、押し歩きは当然の措置だ

正門から少々の“上り”になっているので、セローで来て正解だった

地元住民のご迷惑になるため「ブルーインパルス」の公開飛行は中止されているが
あいかわらずの人気ぶりである
(正門では「左翼絡みの住民団体に公開飛行がジャマされた」と訴える集団あり)
「KC767」のお出迎えである

だが、オイラのお目当てはコイツだ

大戦中の“掩体壕”である
2年前にも同様に訪れ、今回は近づくことを期待していたのだが
数百メートルの距離からの遠望となった
この他にも“放射台”の跡とかも存在することを聞いていたのだが
さすがに、これ以上に立ち入りは無理だと判断
ちなみに、現役の“掩体壕”(っていうのかわかんないが)はこれだ

“お楽しみ”のベクトルを変更した

「祭」といえば“屋台”
最近では、各地の“B級グルメ”の需要が多いらしい
「豊川いなり寿司」「厚木ホルモン」「富士宮やきそば」「COCO壱カレー」を楽しんだ
11.10.03 八日市飛行場(10/1)
以前より八日市に「陸軍飛行場」があったのが記憶にあり
自主学習「織田信長」で“観音寺城”に訪れた際、寄ってみることにした
場所は↓だ(緑矢印の方)
大きな地図で見る
この飛行場は、1914年に民間の飛行場として建設され
1920年12月、陸軍「航空第3大隊」の配属が八日市に決定し「八日市飛行場」となる
太平洋戦争が開始された1942年には、既存の戦隊は樺太に移動し
その後は「教育飛行連隊」が配属となり、終戦時には航空部隊・陸上部隊が駐屯
終戦後は飛行場は米軍に引き渡され、飛行機は焼却処分され
現在、跡地には「正門跡地の碑」「飛行部隊の門柱」「軍用機の格納庫」が残されている
事前の準備が不足していたので、今回拝むことができたのは「掩体壕」だ

その「掩体壕」は、予想に反し立派なものであった

ちなみに三船敏郎さんが、特別業務上等兵として炊事の責任者をしていたらしい

この後、石榑峠を経て帰路につく
自主学習「織田信長」で“観音寺城”に訪れた際、寄ってみることにした
場所は↓だ(緑矢印の方)
大きな地図で見る
この飛行場は、1914年に民間の飛行場として建設され
1920年12月、陸軍「航空第3大隊」の配属が八日市に決定し「八日市飛行場」となる
太平洋戦争が開始された1942年には、既存の戦隊は樺太に移動し
その後は「教育飛行連隊」が配属となり、終戦時には航空部隊・陸上部隊が駐屯
終戦後は飛行場は米軍に引き渡され、飛行機は焼却処分され
現在、跡地には「正門跡地の碑」「飛行部隊の門柱」「軍用機の格納庫」が残されている
事前の準備が不足していたので、今回拝むことができたのは「掩体壕」だ

その「掩体壕」は、予想に反し立派なものであった

ちなみに三船敏郎さんが、特別業務上等兵として炊事の責任者をしていたらしい

この後、石榑峠を経て帰路につく