11.10.03 八日市飛行場(10/1)
以前より八日市に「陸軍飛行場」があったのが記憶にあり
自主学習「織田信長」で“観音寺城”に訪れた際、寄ってみることにした
場所は↓だ(緑矢印の方)
大きな地図で見る
この飛行場は、1914年に民間の飛行場として建設され
1920年12月、陸軍「航空第3大隊」の配属が八日市に決定し「八日市飛行場」となる
太平洋戦争が開始された1942年には、既存の戦隊は樺太に移動し
その後は「教育飛行連隊」が配属となり、終戦時には航空部隊・陸上部隊が駐屯
終戦後は飛行場は米軍に引き渡され、飛行機は焼却処分され
現在、跡地には「正門跡地の碑」「飛行部隊の門柱」「軍用機の格納庫」が残されている
事前の準備が不足していたので、今回拝むことができたのは「掩体壕」だ

その「掩体壕」は、予想に反し立派なものであった

ちなみに三船敏郎さんが、特別業務上等兵として炊事の責任者をしていたらしい

この後、石榑峠を経て帰路につく
自主学習「織田信長」で“観音寺城”に訪れた際、寄ってみることにした
場所は↓だ(緑矢印の方)
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この飛行場は、1914年に民間の飛行場として建設され
1920年12月、陸軍「航空第3大隊」の配属が八日市に決定し「八日市飛行場」となる
太平洋戦争が開始された1942年には、既存の戦隊は樺太に移動し
その後は「教育飛行連隊」が配属となり、終戦時には航空部隊・陸上部隊が駐屯
終戦後は飛行場は米軍に引き渡され、飛行機は焼却処分され
現在、跡地には「正門跡地の碑」「飛行部隊の門柱」「軍用機の格納庫」が残されている
事前の準備が不足していたので、今回拝むことができたのは「掩体壕」だ

その「掩体壕」は、予想に反し立派なものであった

ちなみに三船敏郎さんが、特別業務上等兵として炊事の責任者をしていたらしい

この後、石榑峠を経て帰路につく
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