12.01.08 加納城跡(陸軍司令部)
現在の加納城は、関ヶ原後に徳川家康の命で岐阜城が破却となり、その代わりに築城され
以降、明治の廃藩置県の廃城令まで、加納藩主の居城となっている
なので「お城」としては、“戦”を経験しておらず興味は無いのだが
加納城本丸跡は、昭和14年に陸軍第51航空師団司令部が置かれ
戦後連合軍の接収を経て、昭和37年から昭和50年まで春日井駐屯地に移転するまで
陸上自衛隊第10対戦車隊の駐屯地となっていた
昭和23年の司令部

昭和50年の陸上自衛隊(建物がそのまま使われたのがわかる)

わかりやすそうで、わかりにくい加納城跡公園に到着

建物は破棄されており、唯一残されているのが、この門柱

陸軍時代の「門柱」と「庁舎」

航空師団司令部に相応しい建物であったことがうかがい知れる
当時の図面(クリックで拡大)

現在は石垣に囲まれた岐阜市民の憩いの場となっている

通用門にも、その面影が残る

昭和58年に、本丸跡が国の史跡に指定されるのだが
案内板には「軍」が置かれていたことが、一切載せられていない

まるで「そんなの、無かったよ」とでも言いたげな印象を受けた
・本日の走行距離:43km
以降、明治の廃藩置県の廃城令まで、加納藩主の居城となっている
なので「お城」としては、“戦”を経験しておらず興味は無いのだが
加納城本丸跡は、昭和14年に陸軍第51航空師団司令部が置かれ
戦後連合軍の接収を経て、昭和37年から昭和50年まで春日井駐屯地に移転するまで
陸上自衛隊第10対戦車隊の駐屯地となっていた
昭和23年の司令部

昭和50年の陸上自衛隊(建物がそのまま使われたのがわかる)

わかりやすそうで、わかりにくい加納城跡公園に到着

建物は破棄されており、唯一残されているのが、この門柱

陸軍時代の「門柱」と「庁舎」

航空師団司令部に相応しい建物であったことがうかがい知れる
当時の図面(クリックで拡大)

現在は石垣に囲まれた岐阜市民の憩いの場となっている

通用門にも、その面影が残る

昭和58年に、本丸跡が国の史跡に指定されるのだが
案内板には「軍」が置かれていたことが、一切載せられていない

まるで「そんなの、無かったよ」とでも言いたげな印象を受けた
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