08.12.27 木曽三川の近代土木遺産・・・お散歩
毎年恒例の「嫁の実家で餅つき」は、どうやら今年はやらないようだ・・・・
との情報を得たのは今朝目覚めてからのこと
餅つきが中止なら出かけたいトコは
現在“オイラブーム”となっている「近代土木遺産を訪ねて」シリーズ
暖かくなってから出て、寒くなる前に帰りたかったので近場でチョイスした
まずは、岐阜県道31号線を目指す
この岐阜県道31号線は
昭和8年に岐阜市と大垣市を結ぶ“岐垣国道”として誕生
岐大バイパス(R21)が誕生するまで、この道がR21だったらしい
・・・・なので、旧道である
その岐垣国道の長良川にかかる「長良大橋」が今回のターゲット
長良大橋の事は事前に調べたはずであったが頭に残らなかった
何しろ、昭和8年の完成で「下路曲弦ワーレントラス」の工法・・・・?(わかんない)
当初は「養老鉄道養老線」が併走する予定であったが
計画の無理が災いし、鉄道はポシャって道路専用橋となったとのこと
だから、当時の橋の幅としては広い(約16m)
詳しくはWikipediaで
まずは昭和10年当時の「長良大橋」

そして、平成20年の「長良大橋」

完成後75年を経たにもかかわらず
いまだに現役として何の不安もなく、活躍するお姿は威風堂々としている
岐垣国道の東側から見た長良大橋、昭和10年version
この写真でも、橋の幅が広いことを認めることが出来る

そして、平成20年の同位置から

ちょっとタイミングがずれたが
この撮影のため、同道を3往復した・・・オイラ、マニアックだ
昭和10年の写真は土木学会付属土木図書館からいただいた
実は、今回のメインのミッションはこの橋ではない
オイラが小学生の頃、
木曽三川についての負の歴史を、嫌と言うほど当時の担任から聞いた
現在覚えているのは江戸時代に鹿児島県の人が頑張った・・・と言う事だけだが
「近代土木遺産」をながめていて“木曽川ケレップ水制群”なるものを見つけた
尋常ではない被害をもたらす木曽三川の治水のために
オランダ人技師を招き、明治20年~明治45年の間に築いたもので400ヵ所近くに及ぶという
(ケレップというのはオランダ語で水制のこと)
詳しくは(社)土地改良建設協会
長良大橋を堪能したあと、川岸道路をひたすら南下する
やがて、長良川と木曽川が接近し“背割堤”となる
ここからは、直線ダートになるわけだが
入口には少々遠慮がちな注意書きが集中している
監視カメラもあるようだ

しかし、この先にある「ケレップ」を見たいがためにここまで来た
やる気のあるゲートが無いのは「通行可能」と判断し、南下を継続する

ずっとこんな調子である

看板の通り「モトクロスごっこ」は慎んでほしい

釣り人であろうか、道端に駐車した車も散見される
「葛木の渡跡」とあるが、帰着後調べたら現役とのこと
しかも県道119号線の一部を構成しているらしい

詳しくはWikipedia参照
そして見えてきた「ケレップ水制群」

近代土木遺産に興味が無ければ見過ごすであろう

実を言うと、オイラも隧道ほど興味を持った訳ではないのだが
そのお姿を拝見して、是非近くまで行ってみたい衝動に駆られた
盛夏なら絶対に近づけそうにない藪をかき分け、ケレップの方へ向かう

ケレップの石積みを見つけ、足場の悪い石をつたい先っちょへ向かう

上流側は意図とした通り土砂が堆積し、自然にワンドを形成している
水鳥が多くたむろしていたが、見慣れない訪問者に警戒し全速力で逃げた
(ごめんね)

先っちょ付近

振り返ってみる

こんなのが400ヵ所近くも存在することに
明治の土木技術に感心する
もう一度、背割堤からケレップを望む

この後、立田大橋で木曽川を渡り帰路に着く
立田大橋から北方向に“ケレップ”が数ヶ所見られる
(運転中はよそ見しないように!)
もし、同橋を渡っている時に“ケレップ”が見ることが出来たら
そのつど、江戸時代から続く木曽三川治水に関わる先人たちの努力に感謝する事にする
◆走行距離:78km
◆食 費:820円(COCO壱番の「カツカレー400g2辛」)
との情報を得たのは今朝目覚めてからのこと
餅つきが中止なら出かけたいトコは
現在“オイラブーム”となっている「近代土木遺産を訪ねて」シリーズ
暖かくなってから出て、寒くなる前に帰りたかったので近場でチョイスした
まずは、岐阜県道31号線を目指す
この岐阜県道31号線は
昭和8年に岐阜市と大垣市を結ぶ“岐垣国道”として誕生
岐大バイパス(R21)が誕生するまで、この道がR21だったらしい
・・・・なので、旧道である
その岐垣国道の長良川にかかる「長良大橋」が今回のターゲット
長良大橋の事は事前に調べたはずであったが頭に残らなかった
何しろ、昭和8年の完成で「下路曲弦ワーレントラス」の工法・・・・?(わかんない)
当初は「養老鉄道養老線」が併走する予定であったが
計画の無理が災いし、鉄道はポシャって道路専用橋となったとのこと
だから、当時の橋の幅としては広い(約16m)
詳しくはWikipediaで
まずは昭和10年当時の「長良大橋」

そして、平成20年の「長良大橋」

完成後75年を経たにもかかわらず
いまだに現役として何の不安もなく、活躍するお姿は威風堂々としている
岐垣国道の東側から見た長良大橋、昭和10年version
この写真でも、橋の幅が広いことを認めることが出来る

そして、平成20年の同位置から

ちょっとタイミングがずれたが
この撮影のため、同道を3往復した・・・オイラ、マニアックだ
昭和10年の写真は土木学会付属土木図書館からいただいた
実は、今回のメインのミッションはこの橋ではない
オイラが小学生の頃、
木曽三川についての負の歴史を、嫌と言うほど当時の担任から聞いた
現在覚えているのは江戸時代に鹿児島県の人が頑張った・・・と言う事だけだが
「近代土木遺産」をながめていて“木曽川ケレップ水制群”なるものを見つけた
尋常ではない被害をもたらす木曽三川の治水のために
オランダ人技師を招き、明治20年~明治45年の間に築いたもので400ヵ所近くに及ぶという
(ケレップというのはオランダ語で水制のこと)
詳しくは(社)土地改良建設協会
長良大橋を堪能したあと、川岸道路をひたすら南下する
やがて、長良川と木曽川が接近し“背割堤”となる
ここからは、直線ダートになるわけだが
入口には少々遠慮がちな注意書きが集中している
監視カメラもあるようだ

しかし、この先にある「ケレップ」を見たいがためにここまで来た
やる気のあるゲートが無いのは「通行可能」と判断し、南下を継続する

ずっとこんな調子である

看板の通り「モトクロスごっこ」は慎んでほしい

釣り人であろうか、道端に駐車した車も散見される
「葛木の渡跡」とあるが、帰着後調べたら現役とのこと
しかも県道119号線の一部を構成しているらしい

詳しくはWikipedia参照
そして見えてきた「ケレップ水制群」


近代土木遺産に興味が無ければ見過ごすであろう


実を言うと、オイラも隧道ほど興味を持った訳ではないのだが
そのお姿を拝見して、是非近くまで行ってみたい衝動に駆られた
盛夏なら絶対に近づけそうにない藪をかき分け、ケレップの方へ向かう

ケレップの石積みを見つけ、足場の悪い石をつたい先っちょへ向かう

上流側は意図とした通り土砂が堆積し、自然にワンドを形成している
水鳥が多くたむろしていたが、見慣れない訪問者に警戒し全速力で逃げた
(ごめんね)

先っちょ付近

振り返ってみる

こんなのが400ヵ所近くも存在することに
明治の土木技術に感心する
もう一度、背割堤からケレップを望む

この後、立田大橋で木曽川を渡り帰路に着く
立田大橋から北方向に“ケレップ”が数ヶ所見られる
(運転中はよそ見しないように!)
もし、同橋を渡っている時に“ケレップ”が見ることが出来たら
そのつど、江戸時代から続く木曽三川治水に関わる先人たちの努力に感謝する事にする
◆走行距離:78km
◆食 費:820円(COCO壱番の「カツカレー400g2辛」)
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