13.03.17 安土城
信長最後の“居城”であり、
近代城郭の象徴でもある「天守閣」を初めて備えた“城”である「安土城」
何度も付近を通りながら「後日のお楽しみ♪」にとっておいた
3年を要した築城の後、当時の軍事・政治の中枢となるが
「本能寺の変」で信長自害のあと、何者かによって焼失させられる
築城後わずか3年間の数奇な運命を辿る
15時に人と会う約束があるので早めに出発
往路は、名岐バイパス→R21→R8→さざなみ街道で現地入り
無料の駐車場(四輪は有料)にCBを停める

大手門入り口前にある休憩室に天主(天守)レプリカがある(上階2部分)
5重6階とか7重8階など復元案は多数存在する

大手門跡から入山料500円を払っていよいよ城郭へ進入する
見上げると、こんな階段・・・・

築城には数多の“石”が必要であったが
せっかちな信長は「不足なら、寺社の“仏石”を引っこ抜いて来い!」と厳命
この階段にも多くの“仏石”が使用されている

羽柴秀吉邸跡


前田利家邸跡

まだまだ不均等な階段は続く

振り返るとこんな風景

織田信忠(長男)邸跡

織田信澄(甥)邸と森蘭丸(小姓)邸跡

まだまだ階段は続く

天主(天守)焼失後に、織田秀信(孫)が居住した二の丸跡

そして、本丸へ向かう

天主(天守)跡地・・・意外とこじんまりしている

豊臣が天下を取った後は、廃城とされて誰も訪れることはなかったが
昭和に入って復元作業が始まり、現在に至っている
信長が「安土城築城」の構想を部下に語った時
重臣の佐久間信盛が「あんな低い丘に築城したら、攻められまっせ」と忠告したとき
「だれが、この信長を攻めるんだ?おぅ!」と返答したとのエピソードが残っているので
さぞかし楽ちんな“お城”だとの事前期待があったが、けっこう厳しい登りだった
こんなんが日常であったころの人々には「糖尿病」は少ないと思う

R421→石榑峠→東名阪にてばびゅ~んと帰路につく
■本日の走行距離:199km
近代城郭の象徴でもある「天守閣」を初めて備えた“城”である「安土城」
何度も付近を通りながら「後日のお楽しみ♪」にとっておいた
3年を要した築城の後、当時の軍事・政治の中枢となるが
「本能寺の変」で信長自害のあと、何者かによって焼失させられる
築城後わずか3年間の数奇な運命を辿る
15時に人と会う約束があるので早めに出発
往路は、名岐バイパス→R21→R8→さざなみ街道で現地入り
無料の駐車場(四輪は有料)にCBを停める

大手門入り口前にある休憩室に天主(天守)レプリカがある(上階2部分)
5重6階とか7重8階など復元案は多数存在する

大手門跡から入山料500円を払っていよいよ城郭へ進入する
見上げると、こんな階段・・・・

築城には数多の“石”が必要であったが
せっかちな信長は「不足なら、寺社の“仏石”を引っこ抜いて来い!」と厳命
この階段にも多くの“仏石”が使用されている

羽柴秀吉邸跡


前田利家邸跡

まだまだ不均等な階段は続く

振り返るとこんな風景

織田信忠(長男)邸跡

織田信澄(甥)邸と森蘭丸(小姓)邸跡

まだまだ階段は続く

天主(天守)焼失後に、織田秀信(孫)が居住した二の丸跡

そして、本丸へ向かう

天主(天守)跡地・・・意外とこじんまりしている

豊臣が天下を取った後は、廃城とされて誰も訪れることはなかったが
昭和に入って復元作業が始まり、現在に至っている
信長が「安土城築城」の構想を部下に語った時
重臣の佐久間信盛が「あんな低い丘に築城したら、攻められまっせ」と忠告したとき
「だれが、この信長を攻めるんだ?おぅ!」と返答したとのエピソードが残っているので
さぞかし楽ちんな“お城”だとの事前期待があったが、けっこう厳しい登りだった
こんなんが日常であったころの人々には「糖尿病」は少ないと思う

R421→石榑峠→東名阪にてばびゅ~んと帰路につく
■本日の走行距離:199km
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