15.10.18 ライラックの軌跡
GGさん企画【ライラックの軌跡】
浜松市博物館で9/19~10/18に行われたイベント
「ライラックの軌跡」
ものづくりの街浜松は、太平洋戦争終了後オートバイ製造が急速に発展し、多くのオートバイメーカーが設立、やがて短期間の間に姿を消していきました。
戦前に本田宗一郎が経営していた「アート商会浜松支店」で働いていた伊藤正は、独立して、戦後二輪車製造の研究を開始しました。伊藤は、社名を「丸正自動車製造」とし、本田宗一郎の本田技研と異なる構造のオートバイ製造を念頭に置き、チェーンの無いシャフトドライブのオートバイを開発しました。
昭和26年(1951年)には、本格的にライラックMLやLBの生産を開始し、昭和30年(1955年)に第1回浅間高原レースに優勝して、ライラックの名声を高めましたが、昭和42年(1967年)には会社が倒産し、ライラックは製造されなくなりました。
今回の展示では、オートバイ産業が熾烈を極める中で、伊藤正が立ち上げ、独特なオートバイ製造で人気を集め、そして終止符を打った丸正自動車製造の歴史とライラックの名車を、ライラックの友の会のご協力をいただき、ご紹介します。
※浜松市のサイトより転記【浜松オートバイ列伝2「ライラックの軌跡」】
当初、前日(土曜日)の予定だったが
雨天予報のため、本日に繰越しあらためて参加者を募った
参加者
■GGさん
■おっさん
■MMさん
■しかちゃん
■つるさん
■gooさん
■ヒロさん
■タケさん
以降、途中でいただいた写真を貼り付ける
出発を9:00としてローソン(音羽蒲郡店)に集合

9:45頃、道の駅「潮見坂」

「しらす焼き」を食す

10:25頃、浜松市博物館着



集合写真は、ちとななめ

11:40頃、予定通りのお昼ごはんは【浜田山】

この後は解散し、一部は新城市の「鳳来館」へ


解散後つるさんは「道の駅スタンプラリー」を制覇

その頃、としさんは「鳩吹山」へプチソロ登山

近日中にヒマ中企画として参加者を募る予定だ

浜松市博物館で9/19~10/18に行われたイベント
「ライラックの軌跡」
ものづくりの街浜松は、太平洋戦争終了後オートバイ製造が急速に発展し、多くのオートバイメーカーが設立、やがて短期間の間に姿を消していきました。
戦前に本田宗一郎が経営していた「アート商会浜松支店」で働いていた伊藤正は、独立して、戦後二輪車製造の研究を開始しました。伊藤は、社名を「丸正自動車製造」とし、本田宗一郎の本田技研と異なる構造のオートバイ製造を念頭に置き、チェーンの無いシャフトドライブのオートバイを開発しました。
昭和26年(1951年)には、本格的にライラックMLやLBの生産を開始し、昭和30年(1955年)に第1回浅間高原レースに優勝して、ライラックの名声を高めましたが、昭和42年(1967年)には会社が倒産し、ライラックは製造されなくなりました。
今回の展示では、オートバイ産業が熾烈を極める中で、伊藤正が立ち上げ、独特なオートバイ製造で人気を集め、そして終止符を打った丸正自動車製造の歴史とライラックの名車を、ライラックの友の会のご協力をいただき、ご紹介します。
※浜松市のサイトより転記【浜松オートバイ列伝2「ライラックの軌跡」】
当初、前日(土曜日)の予定だったが
雨天予報のため、本日に繰越しあらためて参加者を募った
参加者
■GGさん
■おっさん
■MMさん
■しかちゃん
■つるさん
■gooさん
■ヒロさん
■タケさん
以降、途中でいただいた写真を貼り付ける
出発を9:00としてローソン(音羽蒲郡店)に集合

9:45頃、道の駅「潮見坂」

「しらす焼き」を食す

10:25頃、浜松市博物館着



集合写真は、ちとななめ

11:40頃、予定通りのお昼ごはんは【浜田山】

この後は解散し、一部は新城市の「鳳来館」へ


解散後つるさんは「道の駅スタンプラリー」を制覇

その頃、としさんは「鳩吹山」へプチソロ登山

近日中にヒマ中企画として参加者を募る予定だ

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