09.05.03 愛岐トンネル群と“めんきち”のラーメン
5/1(金)付けの中日新聞朝刊に↓こんなのが載っていた

一読はしていたが“出かけよう”とまでは至らなかった
5/2(土)アラセさんから「行ってきた♪」に加えて
数枚の写真が添付されたメールが届いたのがきっかけとなる
この「中央線の廃線跡」にトンネルが13ケ所あるってことは知っていた
しかし、道路のトンネルとは異なり
現場までの交通手段が無く、近くまで行く事の予想される困難に
「いつかは・・・」程度で頭の片隅に存在しただけであった
新聞を再度読み直し、関連するサイトを確認した
「5/2~5/6までの限定開放」に“行くしかない!”と決意し
一人で出かけるのは寂しいので、掲示板にて“撒き餌”を行なった
タケさんが釣れそうであったので
当日のam8:00、掲示板にて「am10:30、春日井の赤男爵集合!」と釣り糸を垂れた
20分後、予想通りタケさんが釣れ、寂しい思いをしなくて済んだ
定刻通り赤男爵にて落ち合い、買う気もない売り物を物色した後出発
am10:55
あらかじめ予定していたラーメン屋さんに到着

一番乗りであったが、5分以内にこの駐車場が満タンになる

店内はカウンターのみで、待ち用の長椅子が壁際にある
メニューは至ってシンプル
☆松(並) 680円
☆竹(大盛) 780円
☆梅(チャーシューメン) 950円
☆寿(大盛チャーシューメン) 1,050円
実にシンプルなメニューは、昔試した吹上近くのラーメン屋を思い出した
タケさんが“松”、まつは“竹”を注文
(ねらった訳ではない、偶然)

麺は四分割されたザルに入れられ、湯切りもそのまま行われる
・・・・効率が良い
数分待って配膳される

麺は太くもなく細くもなく、適当に縮れている
スープを一口含む
動物系の出汁なのだろうか?
コクと旨みが深く、脂には重みが無く美味しくいただけ、ワクワクしてくる
スープの“もったり感”が、適度に縮れた麺と充分に絡み
ズルズルっとノド越しに幸せを感じる
箸を付けるだけで崩れそうなチャーシューは
タレ味が少々濃いものの、肉の旨みもしっかり残っており美味しい

何よりもメンマがいい
大ぶりに切られたメンマの歯ごたえは沢庵のようでもあり
トッピング追加料金が270円なのも頷けるほど丁寧に仕上げているのが分かる
・・・・ビールのツマミに欲しい
スープを少々残し、机上の“酢”を垂らして飲み干す
ごちそうさまでした♪
そんな、シンプルなメニューが潔いお店は
◆店名:らうめん専門店「めんきち」
◆住所:春日井市穴橋町2-12-11
◆定休日:水曜日
◆営業時間:11:00~14:00(土日は18:00~21:00も)
さて、これから定光寺へ向かうわけだが
途中に「近代土木遺産」に指定された“橋”がある
タケさんにその“橋”に寄ることを伝えてラーメン屋さんを後にする

神領・高蔵寺を抜けるとすぐにある

馴染みのある「鹿乗橋」だ・・・近代土木遺産Bランク
構造は「鋼ブレーストリブ・アーチ(上路)→RC開腹アーチ(メラン式,リブ+柱)」
理解するのに少々時間を要したが、「鋼鉄アーチ」である(はず)

明治43年に完成したのだが、
その後のたび重なる補強によりコンクリートで覆われ
不粋と言っても構わないほどの姿になってしまった

それより、少々春日井寄りの脇にあったこの橋が気になった

鹿乗橋を後にして、庄内川を渡らずに県道53→県道205で定光寺駅へ向かい
am11:50、適当な駐車場へバイクを停める

ここから、中年二人の散策が開始となる
定光寺と言えば「国際観光旅館“千歳楼”」なのだが、2003年既に廃業している
その後は心霊スポットとして名をはせているようだが
昨年の8月に火災に遭い、現在はこんな無残な姿になっている

実は、この写真を撮っている橋も「近代土木遺産」である

「城嶺橋」・・・近代土木遺産Aランク
京都の三条大橋が手本となっているそうな
今回の目的ではないので、鹿乗橋同様に全貌は確認せず
トンネル群入り口へ進む

ここで「愛岐トンネル群」を、おさらいする
現在、JR中央線の定光寺駅~多治見駅の約8kmは
殆んど直線化されたトンネル区間だが
複線化に伴う付け替えが行われる以前の
明治33年から昭和41年までのこの間には13ヵ所のトンネルがあった
廃線後は放置されアクセスも困難を極めるため全容が不明であったが
「愛岐トンネル群保存再生委員会」というNPO法人が
「自然を活かした整備」を行ない、13ヵ所の内8ヵ所のトンネルが明らかになった
定光寺側から1号~14号(9号は昭和15年に廃止となっているため)と呼称される
①バイクを停めた場所
②3号トンネル(76m)
③4号トンネル(75m)
④5号トンネル(99m)・・・場所は適当
⑤6号トンネル(333m)・・・場所は適当
①から⑤を経て①まで(往復)は約5km
上記は今回開放された3号から6号部分のみである
全体のトンネル群は「愛岐トンネル群保存再生委員会」のここを確認して欲しい
受付で寄付金1,000円を支払い、パンフレットと良く出来た「切符」を手にする

緑のチョッキを着たボランティアの方々に案内され軌道に登る

すぐ左側に3号トンネルだ

ポータルの構造は道路用と変わりないが
馬蹄形は鉄道用のトンネルであることの証しである
アーチは煉瓦が五重で“要石”の存在も分かりやすい

当然だがトンネル内部に照明は無く
懐中電灯を取り出し、足元を確認しながらススまみれの内部を歩く

退避坑にも丁寧にアーチが施してある

3号トンネルより南側には1・2号トンネルがあるのだが
今回開放は3号から6号のため、3号をいったん抜けたら引き返すのが順路となる
4号トンネルまで元は線路上であるゆえ、平坦な散策路である

40数年放置された自然の猛威を
手作業でここまで“歩ける”ようにしていただいたボランティアの活動に感謝する
小さながらも陸橋跡が数ヶ所にあるのだが、いづれも橋は外されており
これまたボランティアの手作りによる竹橋が雰囲気を壊していない

そして4号トンネル

ポータルも内部も全トンネル同じ造りなのだが
地形に合わせるためウィングの大きさ・形状がちょっとづつ異なる
多治見側から振り返ってみる
適度に木々が残しているのに「自然を活かして」を考えてあるのがわかる

次の5号トンネルまでも少々距離があるが
玉野川(南では“庄内川”、北では“土岐川”)を右手に見ながらの散策は気持ち良い

ウグイスなどの鳴き声に自然を満喫するのだが
対岸の愛岐道路を通過するうるさいバイクに、デリカシーの無さを残念に思う
5号トンネル

工事中の明治30年には崩落事故があり、6名の工夫が亡くなったらしい
当時の新聞の切り抜きが「愛岐トンネル群保存再生委員会」のここにある
当時の生々しい状況を露骨に表現しているのも時代を感じる
全国から工夫が集まっていた事もよくわかる記事である
(「隧道」を「トンネル」とルビを付けてあるのが意外だった)
5号トンネルを抜けたら、すぐに6号トンネルの姿がある

今までの四ヵ所のトンネルと雰囲気が随分異なるのは
ウィングが両方にありアーチが七重になっているので、より“威風堂々”と感じる

この6号は333mで、今までの3倍強の長さである
おまけに内部で屈曲しているので、外部の光が届かない部分が長い
太陽光を反射させて内部を照らしたり

竹の切り株を等間隔に並べて、その中にロウソクを灯したりと
雰囲気を損なわず工夫しているセンスにも感服する
6号トンネルを抜けた所で今回の開放区間は終了だ
あえて残している“緑”に不自然さは無く、またもや感服することになる

6号トンネルを折り返して、トンネルの上部から5号トンネルを振りかえる

トンネル最後の写真に、6号トンネルの迫石のアップ

ここだけでも馬蹄形であることが良く分かる
今回開放の順路を忠実にトレースする
玉野川へ一段降り「旧中央線の保線路」の認識で、左に玉野川を見ながら
4号トンネルと3号トンネルの中間に出る

帰宅後にネットで調べてみて、この「保線路」と思われた道が
オイラ的に“価値のある道”であることがわかった
それは後述することとして、恒例となってきたような気がする航空写真
撮影は1948年、今回散策路の一部である

3号トンネルと4号トンネルの存在がはっきりとわかる
ちなみに、
R19内津峠を緩和する目的で建設された「愛岐道路」は、
この撮影の約10年後の開通である
気温も「暑くなく寒くない」一日で、適度な汗が気持ち良い
バイク置き場まで戻り
「廃線」と「廃トンネル」を堪能しまくった余韻に浸りながら解散する
この「愛岐トンネル群」の開放は5/6(祝)までであり
それ以降は封鎖されるとのこと
堂々と「廃線」「廃トンネル」を見られるのはあと二日!
この記事を読まれた方で、興味を持たれたら迷うことなくGOです
「愛岐トンネル群保存再生委員会」・・・その考えや方法に深く賛同します
※パンフレット類がすべて「トンネル」と表現してあるので
「隧道」ではなく「トンネル」で統一して表記した
◆走行距離:53km
◆食費:780円(めんきち、竹)
帰宅後にパンフレットを再読し、
「玉野街道」(散策路の戻りに歩いた川沿いの道)を調べてみた
去年9月の中日新聞に、こんな記事が載っていたらしい
【明治の有料道路料金の高札 多治見の公民館で見つかる】
明治時代に岐阜県と愛知県を結んだ有料道路「玉野街道」(名古屋新道)の
利用料金を表示する高札が、多治見市諏訪町の公民館で見つかった。
高札は縦約30センチ、横約60センチの木製。
岐阜県の名前で、同県池田村諏訪(現多治見市)から
愛知県玉川村玉野(現春日井市)までの通行料金を規定。
人力車5厘、乗馬8厘、馬車・牛車1銭5厘などと種別によって分かれ、
末尾で「右之通道銭相払通行可致事」と命じている。
日付は明治28(1895)年4月11日。
同委員会は、廃線となった国鉄(現JR)中央線約8キロ部分
(多治見市-春日井市)の産業遺産化を目指す活動を進めており、
廃線跡調査中に県境に近い春日井市側庄内川右岸で
玉石を使った道路跡を発見。
各種記録に残る「玉野街道」と推定し、多治見市でも調査を進めていた。
住民の協力で諏訪町公民館で集会室床の間にあった高札を見つけた。
多治見市史などによると、
玉野街道は、1891(明治24)年に岐阜、愛知県がそれぞれ
県内での新道開削に着手。
岐阜県側の一部区間で県負担がなかったため、
地元の市之倉、諏訪住民が資金を出し合って株式会社を組織し
この区間の工事を進め、有料道路とした。
95年に開通したが、翌年から始まった中央線工事で道路は各地で寸断。
1900年の中央線開通後はすっかりさびれてしまったと言う。
春日井郷土史研究会長の村中治彦さん(71)は
「庄内川左岸には戦後、愛岐有料道路ができたが、
その先駆となる有料道路が対岸にあったことはあまり知られていない。
高札は明治の有料道路の実情を明かす発見で意味がある」と話している。

こんな話題に強く興味を持つオイラって、マニアなの?

一読はしていたが“出かけよう”とまでは至らなかった
5/2(土)アラセさんから「行ってきた♪」に加えて
数枚の写真が添付されたメールが届いたのがきっかけとなる
この「中央線の廃線跡」にトンネルが13ケ所あるってことは知っていた
しかし、道路のトンネルとは異なり
現場までの交通手段が無く、近くまで行く事の予想される困難に
「いつかは・・・」程度で頭の片隅に存在しただけであった
新聞を再度読み直し、関連するサイトを確認した
「5/2~5/6までの限定開放」に“行くしかない!”と決意し
一人で出かけるのは寂しいので、掲示板にて“撒き餌”を行なった
タケさんが釣れそうであったので
当日のam8:00、掲示板にて「am10:30、春日井の赤男爵集合!」と釣り糸を垂れた
20分後、予想通りタケさんが釣れ、寂しい思いをしなくて済んだ
定刻通り赤男爵にて落ち合い、買う気もない売り物を物色した後出発
am10:55
あらかじめ予定していたラーメン屋さんに到着

一番乗りであったが、5分以内にこの駐車場が満タンになる

店内はカウンターのみで、待ち用の長椅子が壁際にある
メニューは至ってシンプル
☆松(並) 680円
☆竹(大盛) 780円
☆梅(チャーシューメン) 950円
☆寿(大盛チャーシューメン) 1,050円
実にシンプルなメニューは、昔試した吹上近くのラーメン屋を思い出した
タケさんが“松”、まつは“竹”を注文
(ねらった訳ではない、偶然)

麺は四分割されたザルに入れられ、湯切りもそのまま行われる
・・・・効率が良い
数分待って配膳される

麺は太くもなく細くもなく、適当に縮れている
スープを一口含む
動物系の出汁なのだろうか?
コクと旨みが深く、脂には重みが無く美味しくいただけ、ワクワクしてくる
スープの“もったり感”が、適度に縮れた麺と充分に絡み
ズルズルっとノド越しに幸せを感じる
箸を付けるだけで崩れそうなチャーシューは
タレ味が少々濃いものの、肉の旨みもしっかり残っており美味しい

何よりもメンマがいい
大ぶりに切られたメンマの歯ごたえは沢庵のようでもあり
トッピング追加料金が270円なのも頷けるほど丁寧に仕上げているのが分かる
・・・・ビールのツマミに欲しい
スープを少々残し、机上の“酢”を垂らして飲み干す
ごちそうさまでした♪
そんな、シンプルなメニューが潔いお店は
◆店名:らうめん専門店「めんきち」
◆住所:春日井市穴橋町2-12-11
◆定休日:水曜日
◆営業時間:11:00~14:00(土日は18:00~21:00も)
さて、これから定光寺へ向かうわけだが
途中に「近代土木遺産」に指定された“橋”がある
タケさんにその“橋”に寄ることを伝えてラーメン屋さんを後にする

神領・高蔵寺を抜けるとすぐにある

馴染みのある「鹿乗橋」だ・・・近代土木遺産Bランク
構造は「鋼ブレーストリブ・アーチ(上路)→RC開腹アーチ(メラン式,リブ+柱)」
理解するのに少々時間を要したが、「鋼鉄アーチ」である(はず)

明治43年に完成したのだが、
その後のたび重なる補強によりコンクリートで覆われ
不粋と言っても構わないほどの姿になってしまった

それより、少々春日井寄りの脇にあったこの橋が気になった

鹿乗橋を後にして、庄内川を渡らずに県道53→県道205で定光寺駅へ向かい
am11:50、適当な駐車場へバイクを停める

ここから、中年二人の散策が開始となる
定光寺と言えば「国際観光旅館“千歳楼”」なのだが、2003年既に廃業している
その後は心霊スポットとして名をはせているようだが
昨年の8月に火災に遭い、現在はこんな無残な姿になっている

実は、この写真を撮っている橋も「近代土木遺産」である

「城嶺橋」・・・近代土木遺産Aランク
京都の三条大橋が手本となっているそうな
今回の目的ではないので、鹿乗橋同様に全貌は確認せず
トンネル群入り口へ進む

ここで「愛岐トンネル群」を、おさらいする
現在、JR中央線の定光寺駅~多治見駅の約8kmは
殆んど直線化されたトンネル区間だが
複線化に伴う付け替えが行われる以前の
明治33年から昭和41年までのこの間には13ヵ所のトンネルがあった
廃線後は放置されアクセスも困難を極めるため全容が不明であったが
「愛岐トンネル群保存再生委員会」というNPO法人が
「自然を活かした整備」を行ない、13ヵ所の内8ヵ所のトンネルが明らかになった
定光寺側から1号~14号(9号は昭和15年に廃止となっているため)と呼称される
①バイクを停めた場所
②3号トンネル(76m)
③4号トンネル(75m)
④5号トンネル(99m)・・・場所は適当
⑤6号トンネル(333m)・・・場所は適当
①から⑤を経て①まで(往復)は約5km
上記は今回開放された3号から6号部分のみである
全体のトンネル群は「愛岐トンネル群保存再生委員会」のここを確認して欲しい
受付で寄付金1,000円を支払い、パンフレットと良く出来た「切符」を手にする

緑のチョッキを着たボランティアの方々に案内され軌道に登る

すぐ左側に3号トンネルだ

ポータルの構造は道路用と変わりないが
馬蹄形は鉄道用のトンネルであることの証しである
アーチは煉瓦が五重で“要石”の存在も分かりやすい

当然だがトンネル内部に照明は無く
懐中電灯を取り出し、足元を確認しながらススまみれの内部を歩く

退避坑にも丁寧にアーチが施してある

3号トンネルより南側には1・2号トンネルがあるのだが
今回開放は3号から6号のため、3号をいったん抜けたら引き返すのが順路となる
4号トンネルまで元は線路上であるゆえ、平坦な散策路である

40数年放置された自然の猛威を
手作業でここまで“歩ける”ようにしていただいたボランティアの活動に感謝する
小さながらも陸橋跡が数ヶ所にあるのだが、いづれも橋は外されており
これまたボランティアの手作りによる竹橋が雰囲気を壊していない

そして4号トンネル

ポータルも内部も全トンネル同じ造りなのだが
地形に合わせるためウィングの大きさ・形状がちょっとづつ異なる
多治見側から振り返ってみる
適度に木々が残しているのに「自然を活かして」を考えてあるのがわかる

次の5号トンネルまでも少々距離があるが
玉野川(南では“庄内川”、北では“土岐川”)を右手に見ながらの散策は気持ち良い

ウグイスなどの鳴き声に自然を満喫するのだが
対岸の愛岐道路を通過するうるさいバイクに、デリカシーの無さを残念に思う
5号トンネル

工事中の明治30年には崩落事故があり、6名の工夫が亡くなったらしい
当時の新聞の切り抜きが「愛岐トンネル群保存再生委員会」のここにある
当時の生々しい状況を露骨に表現しているのも時代を感じる
全国から工夫が集まっていた事もよくわかる記事である
(「隧道」を「トンネル」とルビを付けてあるのが意外だった)
5号トンネルを抜けたら、すぐに6号トンネルの姿がある

今までの四ヵ所のトンネルと雰囲気が随分異なるのは
ウィングが両方にありアーチが七重になっているので、より“威風堂々”と感じる

この6号は333mで、今までの3倍強の長さである
おまけに内部で屈曲しているので、外部の光が届かない部分が長い
太陽光を反射させて内部を照らしたり

竹の切り株を等間隔に並べて、その中にロウソクを灯したりと
雰囲気を損なわず工夫しているセンスにも感服する
6号トンネルを抜けた所で今回の開放区間は終了だ
あえて残している“緑”に不自然さは無く、またもや感服することになる

6号トンネルを折り返して、トンネルの上部から5号トンネルを振りかえる

トンネル最後の写真に、6号トンネルの迫石のアップ

ここだけでも馬蹄形であることが良く分かる
今回開放の順路を忠実にトレースする
玉野川へ一段降り「旧中央線の保線路」の認識で、左に玉野川を見ながら
4号トンネルと3号トンネルの中間に出る

帰宅後にネットで調べてみて、この「保線路」と思われた道が
オイラ的に“価値のある道”であることがわかった
それは後述することとして、恒例となってきたような気がする航空写真
撮影は1948年、今回散策路の一部である

3号トンネルと4号トンネルの存在がはっきりとわかる
ちなみに、
R19内津峠を緩和する目的で建設された「愛岐道路」は、
この撮影の約10年後の開通である
気温も「暑くなく寒くない」一日で、適度な汗が気持ち良い
バイク置き場まで戻り
「廃線」と「廃トンネル」を堪能しまくった余韻に浸りながら解散する
この「愛岐トンネル群」の開放は5/6(祝)までであり
それ以降は封鎖されるとのこと
堂々と「廃線」「廃トンネル」を見られるのはあと二日!
この記事を読まれた方で、興味を持たれたら迷うことなくGOです
「愛岐トンネル群保存再生委員会」・・・その考えや方法に深く賛同します
※パンフレット類がすべて「トンネル」と表現してあるので
「隧道」ではなく「トンネル」で統一して表記した
◆走行距離:53km
◆食費:780円(めんきち、竹)
帰宅後にパンフレットを再読し、
「玉野街道」(散策路の戻りに歩いた川沿いの道)を調べてみた
去年9月の中日新聞に、こんな記事が載っていたらしい
【明治の有料道路料金の高札 多治見の公民館で見つかる】
明治時代に岐阜県と愛知県を結んだ有料道路「玉野街道」(名古屋新道)の
利用料金を表示する高札が、多治見市諏訪町の公民館で見つかった。
高札は縦約30センチ、横約60センチの木製。
岐阜県の名前で、同県池田村諏訪(現多治見市)から
愛知県玉川村玉野(現春日井市)までの通行料金を規定。
人力車5厘、乗馬8厘、馬車・牛車1銭5厘などと種別によって分かれ、
末尾で「右之通道銭相払通行可致事」と命じている。
日付は明治28(1895)年4月11日。
同委員会は、廃線となった国鉄(現JR)中央線約8キロ部分
(多治見市-春日井市)の産業遺産化を目指す活動を進めており、
廃線跡調査中に県境に近い春日井市側庄内川右岸で
玉石を使った道路跡を発見。
各種記録に残る「玉野街道」と推定し、多治見市でも調査を進めていた。
住民の協力で諏訪町公民館で集会室床の間にあった高札を見つけた。
多治見市史などによると、
玉野街道は、1891(明治24)年に岐阜、愛知県がそれぞれ
県内での新道開削に着手。
岐阜県側の一部区間で県負担がなかったため、
地元の市之倉、諏訪住民が資金を出し合って株式会社を組織し
この区間の工事を進め、有料道路とした。
95年に開通したが、翌年から始まった中央線工事で道路は各地で寸断。
1900年の中央線開通後はすっかりさびれてしまったと言う。
春日井郷土史研究会長の村中治彦さん(71)は
「庄内川左岸には戦後、愛岐有料道路ができたが、
その先駆となる有料道路が対岸にあったことはあまり知られていない。
高札は明治の有料道路の実情を明かす発見で意味がある」と話している。

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