10.05.29 名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠
昨年3月、関ヶ原に「火薬庫」があるとの情報を得て“遺跡”を見に行った
最近、1947年(終戦2年後)の航空写真で確認してみたら
周辺には陸軍の施設と思われる建造物が、びっしり立ち並んでいた

この整然と並ぶ建造物は「火薬倉庫用土塁」で
一棟ごとに土塁で囲った倉庫は28棟あり、7か所にまとまっている
「関ヶ原旧陸軍火薬庫」に関する情報は多くあるのだが
全容を載せているものは皆無だ
(正式名称は「名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠」)
調査地一帯の現在の地図

これに、先の1947年の航空写真を乗せてみた
薄い緑の部分、メナードランドが旧陸軍施設跡地に建設されたのがわかる

ちなみにメナードランドは1972年に開園し、2000年に閉園した
1977年、メナードランドが全盛期(たぶん)の頃の航空写真
東側の土塁が2列残っている
しかも、樹木が生い茂ったのか大きくなったように見える

これにも1947年の航空写真を乗せてみる

・・・もう、メナードランドを調査するしかない
それで、今回の自主学習は「再検証」として、再び関ヶ原へ訪れることとし
その予告をブログネタとしたら
やはり・・・というか、いつものアラセさんとEDさんが釣れた
am9:00に道の駅「月見の里」出発として、二人に招集メールを配信
毎度のことであるが、オイラを含めせっかちな3人は40分前に揃う

で、20分前にオイラが先頭となり出発
今回はK229を使い、西から進入することとした
まずは、前回も検証した火薬庫を検証

説明板にて振り返り学習を行なう

「大正初期より昭和20年までの30年間、この区域一帯は火薬庫として使用されていました。周囲6キロ、面積は約270ヘクタールあり、東洋一の規模だったと言われています。
ここに火薬庫がつくられたのは、交通の便はよく、点在する小高い丘は洞窟を築く上で都合がよいなど、立地条件に恵まれていたからです。・・・関ヶ原町」
まずは立哨台にてお約束の写真

そして火薬庫に突入する

今回のメインの検証場ではないので、懐中電灯の持参は指示していなかった
それでも、火薬庫の構造をちょっとだけ確認する

そして、地図でも確認できるこの階段

各段の高さが不揃いであり、コンクリートの経たり具合からも当時のものであると推察される

頂上は100坪ほどが均されており、生い茂った樹木が無ければ眺望は良かったのであろう
監視のための施設があったのだろうが、現在は何もない

下界に降りて集合写真

少々場所を移動し、↓この辺を調査

メナードランドの往年の資料がないため、何が存在したのか見当もつかない

戦跡らしきものは何もなく、次へ移動↓

遊戯施設などは取り壊されているので、ここも“何”の跡か不明だった

とある建造物の中に貼ってあったポスター(平成2年もの)から
ここがスケートリンクである事が判明

メナードランドで施設として使われていた、旧陸軍の倉庫っぽいもの

1947年の航空写真にも、しっかり写っている

当然、戦跡の説明板などあるはずもなく
旧陸軍施設を有効活用したものだと、勝手に判断することにした
説明できないから、戦跡っぽい写真を適当に貼ってみる



メナードランドが旧陸軍の跡地に建設され
その施設も再利用されていたことが判明した・・・たぶん
戦跡調査の締めくくりは、跡地の東端に位置する“営門”
なぜ片側だけに2本建っているのかよくわからんのだが
その造りは陸軍の威信をかけたものらしい

何か物足らないので
「名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠」が載っている文献を探しに行くことにする
目的地は「関ヶ原歴史資料館」・・・10分弱で到着

以前確認したことがある「藤古川橋」の陸軍マーク入りの親柱

欄干(境界柱)

期待に胸を膨らませ、350円を支払い資料館に入る
案の定、「関ヶ原合戦」に関わる物しか見当たらなかった・・・
それでも合戦のジオラマでは時系列で、体制がわかりやすい解説なので楽しめる
石田三成の視線で関ヶ原合戦までの流れのVTRも楽しい
だが、今回の使命とは異なる
お昼の時間となったので、予定しているお昼ごはん場所へ移動
12:10到着

「営業中」の看板はあるのだが、店内は暗く人の気配も無い
お店の人らしき人に声をかけて、席に座りメニューを確認

メニューは決めていた
「ジャンボみそかつ定食」(1,260円)にごはん大盛り(+50円)・・・EDさん、オイラ
「ミニかつ定食」(945円)・・・アラセさん
そして配膳

“かつ”の面積は、あまり期待していなかっただけに嬉しいくらい“広い”♪

ミニかつ(普通のお店の大盛り・・・アラセさん弁)との比較

肉は薄くも無く厚くも無いのだが、脂身が少ないのでメタボ腹に優しい

“みそ”は、くどくない甘さが“かつ”とほど良く調和している
お店は地元の「宴会」や「法事」などに需要が多いらしく
仕出し系のメニューが多いのだが、良いお店を見つけた喜びで幸せを感じた
そんな「今まで何度も通ってたのに気付かなかった」嬉しいお店は

■店名:水谷
■住所:岐阜県大垣市上石津町上原1246【地図】
■定休日:毎週水曜日と第3火曜日
■営業時間:11:30~19:00
ここで解散とし、アラセさんは関ヶ原から名神に乗っかる
EDさんとオイラは、廃村を通る舗装林道へ向かう

快適な舗装林道で高度をグイグイ上げていくと
岐阜県と滋賀県の県境「五僧峠」にたどり着く


この峠の西側に廃村がある

割と有名な廃村である

徒歩で探索した後、この後は次回にお楽しみに取っておくことにした
そして帰路途中に「白石工業株式会社」の門柱発見

「皇紀2600年記念建立」ってのがワクワクさせる

帰宅後ネットで調べると、「廃墟マニア」では有名な“廃工場”の一部だった
ちなみに、今年は“皇紀2670年”
これも、次回のお楽しみとして残すことにした
本日の走行距離:173km
本日の食費:1,260円+50円(ジャンボみそかつ定食+大盛り)
最近、1947年(終戦2年後)の航空写真で確認してみたら
周辺には陸軍の施設と思われる建造物が、びっしり立ち並んでいた

この整然と並ぶ建造物は「火薬倉庫用土塁」で
一棟ごとに土塁で囲った倉庫は28棟あり、7か所にまとまっている
「関ヶ原旧陸軍火薬庫」に関する情報は多くあるのだが
全容を載せているものは皆無だ
(正式名称は「名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠」)
調査地一帯の現在の地図

これに、先の1947年の航空写真を乗せてみた
薄い緑の部分、メナードランドが旧陸軍施設跡地に建設されたのがわかる

ちなみにメナードランドは1972年に開園し、2000年に閉園した
1977年、メナードランドが全盛期(たぶん)の頃の航空写真
東側の土塁が2列残っている
しかも、樹木が生い茂ったのか大きくなったように見える

これにも1947年の航空写真を乗せてみる

・・・もう、メナードランドを調査するしかない
それで、今回の自主学習は「再検証」として、再び関ヶ原へ訪れることとし
その予告をブログネタとしたら
やはり・・・というか、いつものアラセさんとEDさんが釣れた
am9:00に道の駅「月見の里」出発として、二人に招集メールを配信
毎度のことであるが、オイラを含めせっかちな3人は40分前に揃う

で、20分前にオイラが先頭となり出発
今回はK229を使い、西から進入することとした
まずは、前回も検証した火薬庫を検証

説明板にて振り返り学習を行なう

「大正初期より昭和20年までの30年間、この区域一帯は火薬庫として使用されていました。周囲6キロ、面積は約270ヘクタールあり、東洋一の規模だったと言われています。
ここに火薬庫がつくられたのは、交通の便はよく、点在する小高い丘は洞窟を築く上で都合がよいなど、立地条件に恵まれていたからです。・・・関ヶ原町」
まずは立哨台にてお約束の写真

そして火薬庫に突入する

今回のメインの検証場ではないので、懐中電灯の持参は指示していなかった
それでも、火薬庫の構造をちょっとだけ確認する

そして、地図でも確認できるこの階段

各段の高さが不揃いであり、コンクリートの経たり具合からも当時のものであると推察される

頂上は100坪ほどが均されており、生い茂った樹木が無ければ眺望は良かったのであろう
監視のための施設があったのだろうが、現在は何もない

下界に降りて集合写真

少々場所を移動し、↓この辺を調査

メナードランドの往年の資料がないため、何が存在したのか見当もつかない

戦跡らしきものは何もなく、次へ移動↓

遊戯施設などは取り壊されているので、ここも“何”の跡か不明だった

とある建造物の中に貼ってあったポスター(平成2年もの)から
ここがスケートリンクである事が判明

メナードランドで施設として使われていた、旧陸軍の倉庫っぽいもの

1947年の航空写真にも、しっかり写っている

当然、戦跡の説明板などあるはずもなく
旧陸軍施設を有効活用したものだと、勝手に判断することにした
説明できないから、戦跡っぽい写真を適当に貼ってみる



メナードランドが旧陸軍の跡地に建設され
その施設も再利用されていたことが判明した・・・たぶん
戦跡調査の締めくくりは、跡地の東端に位置する“営門”
なぜ片側だけに2本建っているのかよくわからんのだが
その造りは陸軍の威信をかけたものらしい

何か物足らないので
「名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠」が載っている文献を探しに行くことにする
目的地は「関ヶ原歴史資料館」・・・10分弱で到着

以前確認したことがある「藤古川橋」の陸軍マーク入りの親柱

欄干(境界柱)

期待に胸を膨らませ、350円を支払い資料館に入る
案の定、「関ヶ原合戦」に関わる物しか見当たらなかった・・・
それでも合戦のジオラマでは時系列で、体制がわかりやすい解説なので楽しめる
石田三成の視線で関ヶ原合戦までの流れのVTRも楽しい
だが、今回の使命とは異なる
お昼の時間となったので、予定しているお昼ごはん場所へ移動
12:10到着

「営業中」の看板はあるのだが、店内は暗く人の気配も無い
お店の人らしき人に声をかけて、席に座りメニューを確認

メニューは決めていた
「ジャンボみそかつ定食」(1,260円)にごはん大盛り(+50円)・・・EDさん、オイラ
「ミニかつ定食」(945円)・・・アラセさん
そして配膳

“かつ”の面積は、あまり期待していなかっただけに嬉しいくらい“広い”♪

ミニかつ(普通のお店の大盛り・・・アラセさん弁)との比較

肉は薄くも無く厚くも無いのだが、脂身が少ないのでメタボ腹に優しい

“みそ”は、くどくない甘さが“かつ”とほど良く調和している
お店は地元の「宴会」や「法事」などに需要が多いらしく
仕出し系のメニューが多いのだが、良いお店を見つけた喜びで幸せを感じた
そんな「今まで何度も通ってたのに気付かなかった」嬉しいお店は

■店名:水谷
■住所:岐阜県大垣市上石津町上原1246【地図】
■定休日:毎週水曜日と第3火曜日
■営業時間:11:30~19:00
ここで解散とし、アラセさんは関ヶ原から名神に乗っかる
EDさんとオイラは、廃村を通る舗装林道へ向かう

快適な舗装林道で高度をグイグイ上げていくと
岐阜県と滋賀県の県境「五僧峠」にたどり着く


この峠の西側に廃村がある

割と有名な廃村である

徒歩で探索した後、この後は次回にお楽しみに取っておくことにした
そして帰路途中に「白石工業株式会社」の門柱発見

「皇紀2600年記念建立」ってのがワクワクさせる

帰宅後ネットで調べると、「廃墟マニア」では有名な“廃工場”の一部だった
ちなみに、今年は“皇紀2670年”
これも、次回のお楽しみとして残すことにした
本日の走行距離:173km
本日の食費:1,260円+50円(ジャンボみそかつ定食+大盛り)
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コメント
残念!
素早いレポート
お疲れ様です。
盛りだくさんで楽しい一日でした。
まつさん、アラセさん
ありがとうございました。
また一緒に遊んで下さい。
盛りだくさんで楽しい一日でした。
まつさん、アラセさん
ありがとうございました。
また一緒に遊んで下さい。
ニアミス
>とっちゃん
軽く朝食を済ませたかったので、am7:40に到着してました
相変わらずの「早朝行動」お疲れっす!
オイラも見習って朝早くから行動出来るよう努めます
>EDさん
林道時山多賀線(五僧峠越えと勝手に命名)は使い道たくさんありそうです
沿道には廃村もたくさん存在するようですし
企画ネタが増えました♪
軽く朝食を済ませたかったので、am7:40に到着してました
相変わらずの「早朝行動」お疲れっす!
オイラも見習って朝早くから行動出来るよう努めます
>EDさん
林道時山多賀線(五僧峠越えと勝手に命名)は使い道たくさんありそうです
沿道には廃村もたくさん存在するようですし
企画ネタが増えました♪
おつかれさまでした
火薬庫の中に入れるんですねー。驚きました!
行きたかったなぁー林道も廃村も行きたかったです。
ようやく準備整いましたので、次回からは参加したいと思います~!!
行きたかったなぁー林道も廃村も行きたかったです。
ようやく準備整いましたので、次回からは参加したいと思います~!!
廃村
廃村ツアーの構想は出来てます♪
あとは、お昼ごはんに何を組み合わせるかだけっす
あとは、お昼ごはんに何を組み合わせるかだけっす
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私は、am5:50~am7:00までいました。