10.07.25 鳥居隧道
昨日は権兵衛峠を堪能したあと、
R19の藪原と奈良井の間にある鳥居峠を貫く「鳥居隧道」に触れたみた
緑矢印の先が、現在の“新鳥居トンネル”である

大きな地図
この“新鳥居トンネル”は
昭和53年に開通した延長1,738mの長大なトンネルである
この“新鳥居トンネル”が完成する以前にあったのが
昭和30年に開通した“鳥居隧道”で、現在は廃隧道となっている
下記の地図で、赤い部分がR19の旧道だ
①栃窪隧道
②鳥居隧道、奈良井側抗口
③鳥居隧道、藪原側抗口
昨日権兵衛峠と旧道を堪能し
R361と別れを告げ、K493にて奈良井ダムへ向う

それまで、自然に戻りつつあった旧道を走ってきたので
随分と高規格な県道として印象に残る

鳥居峠が太平洋と日本海の分水嶺となるので
このダムの水は日本海へ流れることとなる

そして、K493と旧R19の合流交差点(右側登りが旧R19)
旧R19は意識的に削られているように思える

2車線あるはずだが
昭和53年に「新鳥居トンネル」が開通してから放置されているので
両側から自然に侵され1車線分の幅しか使用できない

すぐに“栃窪隧道”が現れる

トンネルというより、落石から道を守るためのロックシェードなのだろう
車道と比較して狭いような気がするが、今さらそんなことを言っても仕方がない

“栃窪隧道”を抜けると、更に自然化は激しくなり
とうとう旧R19は、元からの形状を変えようとしていた

セローを停め徒歩で確認する
前週の豪雨の影響なのだろうか、崩落部分が真新しい

間もなく“鳥居隧道”なので、セローは置いたまま徒歩で進む
もう、ほとんど「沢」状態だ

自然に還りつつある旧R19の行き止まりが見えてきた

藪で全容を拝むことが出来ないが“鳥居隧道”である

昭和30年産なのに石積みのポータル

事前学習通り、コンクリートで塞がれていた
藪原側の抗口まで1kmと少々
この“鳥居隧道”の中を見ることはかなわない
抗口から振り返ってみると「左直角カーブ注意」の標識

こんな窮屈な設計が“鳥居隧道”の寿命を縮めたのだろう
更に戻り、崩落現場を振り返る

そして廃道後も与えられた業務をまっとうする、けなげな標識

新R19の奈良井側へ出て、新鳥居トンネルをくぐる
このトンネルの真上に、K493と旧R19の合流交差点がある

反対側(藪原側)の新鳥居トンネル

この後“鳥居隧道”の藪原側抗口へは、あえて行かなかった
北側に中央本線がやはりトンネルで鳥居峠を通過するのだが
現在の中央本線のトンネルも付替えされており
初代の明治43年産のブツが現存するらしいのと
この鳥居峠は江戸時代の昔からの難所で、鉄道や自動車道が出来る以前にも
中山道は幾度となく“付替え”されたと言う
その検証も併せて再度訪れるつもりである
そして、この季節は廃道や廃隧道の探索には向かない事を再確認した
R19の藪原と奈良井の間にある鳥居峠を貫く「鳥居隧道」に触れたみた
緑矢印の先が、現在の“新鳥居トンネル”である

大きな地図
この“新鳥居トンネル”は
昭和53年に開通した延長1,738mの長大なトンネルである
この“新鳥居トンネル”が完成する以前にあったのが
昭和30年に開通した“鳥居隧道”で、現在は廃隧道となっている
下記の地図で、赤い部分がR19の旧道だ
①栃窪隧道
②鳥居隧道、奈良井側抗口
③鳥居隧道、藪原側抗口
昨日権兵衛峠と旧道を堪能し
R361と別れを告げ、K493にて奈良井ダムへ向う

それまで、自然に戻りつつあった旧道を走ってきたので
随分と高規格な県道として印象に残る

鳥居峠が太平洋と日本海の分水嶺となるので
このダムの水は日本海へ流れることとなる

そして、K493と旧R19の合流交差点(右側登りが旧R19)
旧R19は意識的に削られているように思える

2車線あるはずだが
昭和53年に「新鳥居トンネル」が開通してから放置されているので
両側から自然に侵され1車線分の幅しか使用できない

すぐに“栃窪隧道”が現れる

トンネルというより、落石から道を守るためのロックシェードなのだろう
車道と比較して狭いような気がするが、今さらそんなことを言っても仕方がない

“栃窪隧道”を抜けると、更に自然化は激しくなり
とうとう旧R19は、元からの形状を変えようとしていた

セローを停め徒歩で確認する
前週の豪雨の影響なのだろうか、崩落部分が真新しい

間もなく“鳥居隧道”なので、セローは置いたまま徒歩で進む
もう、ほとんど「沢」状態だ

自然に還りつつある旧R19の行き止まりが見えてきた

藪で全容を拝むことが出来ないが“鳥居隧道”である

昭和30年産なのに石積みのポータル

事前学習通り、コンクリートで塞がれていた
藪原側の抗口まで1kmと少々
この“鳥居隧道”の中を見ることはかなわない
抗口から振り返ってみると「左直角カーブ注意」の標識

こんな窮屈な設計が“鳥居隧道”の寿命を縮めたのだろう
更に戻り、崩落現場を振り返る

そして廃道後も与えられた業務をまっとうする、けなげな標識

新R19の奈良井側へ出て、新鳥居トンネルをくぐる
このトンネルの真上に、K493と旧R19の合流交差点がある

反対側(藪原側)の新鳥居トンネル

この後“鳥居隧道”の藪原側抗口へは、あえて行かなかった
北側に中央本線がやはりトンネルで鳥居峠を通過するのだが
現在の中央本線のトンネルも付替えされており
初代の明治43年産のブツが現存するらしいのと
この鳥居峠は江戸時代の昔からの難所で、鉄道や自動車道が出来る以前にも
中山道は幾度となく“付替え”されたと言う
その検証も併せて再度訪れるつもりである
そして、この季節は廃道や廃隧道の探索には向かない事を再確認した
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