10.10.18 10/16「各務原飛行場」・・・戦跡
そろそろ「自主学習」の季節到来である
前回中途半端に終わってしまった(毎度の事だが)「陸軍各務原飛行場」を
土曜日(10/16)に再度検証しようと出かけた
川島町の「オアシスパーク」で少々腹ごしらえを行ない目的地へと向かう
その前に、周辺の地図を確認しておこう
これが現在の「航空自衛隊岐阜基地」である

大正7年ころの地図にも「各務原飛行場」と明記がある
愛岐大橋はなく、「草井の渡し」で木曽川を渡河していたようだ

地図右上の、名鉄「名電各務原駅」と「苧ケ瀬駅」の間の競馬場も気になる所だが
今回の目的とは違うので、次回の調査対象としてみようと思う
(ちなみに「名電各務原駅」は「にれんたいまへ(二連隊前?)」と表示されている)
現在の地図に、大正7年ものを重ねてみた

非常に分かりづらいのだが
現在の岐阜基地の東側にも飛行場の敷地が存在した事を覚えておいて欲しい
まずは、前回の復習となる「誘導路跨道」と「技能員養成所25mプール」だ
1948年(終戦後)米軍の航空写真

現在のこのあたり

重ねてみた

愛岐大橋からR21に接続する旧K17(現在の道路は新道)を
跨道で西側と東側の飛行場がつながっているのがわかる
今となっては無意味な“トンネル”と化しているが
一部マニアの喜ぶ物件として現存している

現在、東側の飛行場の跡地の多くは「国有地」となっている
そして、一本南の道から見た「プール」

国有地から入ってみる・・・みんなの財産だから遠慮しない

プール西側の壁は取り壊されているが、東側は健在である

プールの壁と言ったら“手すりandタン吐き”のこの溝

小学生の時、この溝に見事漏らさずにゲロを吐いた友人がいたのを思い出した
今思えば、あやうく大惨事になるところだった
そんな友人も現在は成人する子供を持つ“ハゲ”た親父である
幼いころの記憶は40年を経ても、やたら鮮明なのが恐ろしい
・・・そんな事はどうでもいい
次は掩体壕を探しに行く・・・現在の周辺地図

1948年米軍の航空写真

意味があるかわからんが、楽しいので重ねてみる

そして三か所の掩体壕の所在地

まずは、前回も検証した比較的分かりやすい物件・・・掩体壕①
現在は運送会社の倉庫として使用されているようだが
蜘蛛の巣が鬼のようにあり、自然の警備システムが作動していた

でも、立ち入り禁止ではないのでおジャマする(たぶん不法侵入)

全容をカメラで表せないのが残念なのだが、デカい!
ちなみに、3機は格納できるとの事
次は掩体壕②
まるっきり民家の敷地内に存在し、撮影は困難を極める
この屋根の向こう側にあることは“雰囲気”でわかる

東側の歩道から何とか開口部分を見る事ができるが
カメラに収める事は難しい

この民家に誰か居れば、ずうずうしく「ちょっといいかね?」と抜けさせていただくトコだが
あいにく誰も居住していないようなので止めておいた
開口部分しか見る事が出来ないのだが
おそらく保存状態は、かなりの上物だと思われる
次は掩体壕③
今までに見たのとは違い“蓋の無い”掩体壕である

奥に向かって凸の形状であり、木製の天蓋を支える鉄筋が残っている


他にも探せば戦跡はあると思われるのだが
これ以上深入りすると、ただのマニアになってしまいそうなので
これで満足することにする
今度の日曜日(10/24)は岐阜基地の航空祭である
人混み・車混みにウンザリしたら、戦跡を巡ってみるのはいかがか?
ヒマ中では“なんちゃって戦跡マニア”を広く募る
前回中途半端に終わってしまった(毎度の事だが)「陸軍各務原飛行場」を
土曜日(10/16)に再度検証しようと出かけた
川島町の「オアシスパーク」で少々腹ごしらえを行ない目的地へと向かう
その前に、周辺の地図を確認しておこう
これが現在の「航空自衛隊岐阜基地」である

大正7年ころの地図にも「各務原飛行場」と明記がある
愛岐大橋はなく、「草井の渡し」で木曽川を渡河していたようだ

地図右上の、名鉄「名電各務原駅」と「苧ケ瀬駅」の間の競馬場も気になる所だが
今回の目的とは違うので、次回の調査対象としてみようと思う
(ちなみに「名電各務原駅」は「にれんたいまへ(二連隊前?)」と表示されている)
現在の地図に、大正7年ものを重ねてみた

非常に分かりづらいのだが
現在の岐阜基地の東側にも飛行場の敷地が存在した事を覚えておいて欲しい
まずは、前回の復習となる「誘導路跨道」と「技能員養成所25mプール」だ
1948年(終戦後)米軍の航空写真

現在のこのあたり

重ねてみた

愛岐大橋からR21に接続する旧K17(現在の道路は新道)を
跨道で西側と東側の飛行場がつながっているのがわかる
今となっては無意味な“トンネル”と化しているが
一部マニアの喜ぶ物件として現存している

現在、東側の飛行場の跡地の多くは「国有地」となっている
そして、一本南の道から見た「プール」

国有地から入ってみる・・・みんなの財産だから遠慮しない

プール西側の壁は取り壊されているが、東側は健在である

プールの壁と言ったら“手すりandタン吐き”のこの溝

小学生の時、この溝に見事漏らさずにゲロを吐いた友人がいたのを思い出した
今思えば、あやうく大惨事になるところだった
そんな友人も現在は成人する子供を持つ“ハゲ”た親父である
幼いころの記憶は40年を経ても、やたら鮮明なのが恐ろしい
・・・そんな事はどうでもいい
次は掩体壕を探しに行く・・・現在の周辺地図

1948年米軍の航空写真

意味があるかわからんが、楽しいので重ねてみる

そして三か所の掩体壕の所在地

まずは、前回も検証した比較的分かりやすい物件・・・掩体壕①
現在は運送会社の倉庫として使用されているようだが
蜘蛛の巣が鬼のようにあり、自然の警備システムが作動していた

でも、立ち入り禁止ではないのでおジャマする(たぶん不法侵入)

全容をカメラで表せないのが残念なのだが、デカい!
ちなみに、3機は格納できるとの事
次は掩体壕②
まるっきり民家の敷地内に存在し、撮影は困難を極める
この屋根の向こう側にあることは“雰囲気”でわかる

東側の歩道から何とか開口部分を見る事ができるが
カメラに収める事は難しい

この民家に誰か居れば、ずうずうしく「ちょっといいかね?」と抜けさせていただくトコだが
あいにく誰も居住していないようなので止めておいた
開口部分しか見る事が出来ないのだが
おそらく保存状態は、かなりの上物だと思われる
次は掩体壕③
今までに見たのとは違い“蓋の無い”掩体壕である

奥に向かって凸の形状であり、木製の天蓋を支える鉄筋が残っている


他にも探せば戦跡はあると思われるのだが
これ以上深入りすると、ただのマニアになってしまいそうなので
これで満足することにする
今度の日曜日(10/24)は岐阜基地の航空祭である
人混み・車混みにウンザリしたら、戦跡を巡ってみるのはいかがか?
ヒマ中では“なんちゃって戦跡マニア”を広く募る
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