10.11.03 三重海軍航空隊(香良洲町)
東名阪の四日市までの慢性的な“渋滞”がどんなものか確認しておきたかった
併せて、三重県に存在した“予科練”(海軍飛行兵養成制度)の跡地も見ておこうと
事前学習も行なった
土浦航空隊の次に昭和17年8月開隊された「三重海軍航空隊」は
三重県津市(統合前:一志郡香良洲町)の、デルタ地帯の東半分存在した

鈴鹿海軍航空隊・明野航空隊・陸軍33連帯の中間位置でもあり
立地条件が適していたとの事
拡大して、跡地を囲ってみた

1945年の航空写真(同範囲)

意味があるかわからんが、「今地図」に「1945年航空写真」を被せてみた

このあたりのジオラマ(後述する「香良洲歴史資料館」で撮影)

正門から東西に延びる道路を境に、
北が「兵舎(座学)エリア」南が「体術・訓練エリア」となる
「兵舎エリア」を、今地図の航空写真でみると
上の地図を拡大したりして見て欲しい
“それっぽい”遺跡が残っているような気がする
なお、この「三重海軍航空隊」は大規模な“教育施設”であり
所属する飛行機や滑走路はないまま、昭和20年8月の終戦と同時に3年で閉鎖された
終戦までの3年間に約65,000人が入隊し、
多い時には兵舎に約15,000人が在隊し訓練を受け
(当時は近鉄「香良洲駅」があり、“通学”もあった様子)
この内約5,000人が特攻要員などとして、祖国日本にため戦死した
am7:00、シールド内側に「曇り止め」を塗って自宅を出発
半袖Tシャツの上に“シャカシャカ”を被り、春秋用ジャケット着用だが
天気予報通り少々寒い・・・でも「クソ暑い」のと比較すると幾分か快適だ
清州東ICから上道に入る
「桑名-四日市、10km渋滞、40分要」の電光板がくどい
予告通り桑名から渋滞となるが「停止」のない渋滞で、ゆるやかな進行はある
路側帯は走らず(以前、それで捕まった人を目の当たりにした事がある)スリ抜けで先へと進む
結果20分ほどで渋滞を抜ける事が出来たのだが、面倒くさい
亀山PAも、初めて見る“満タン”の状態である
今月の定例(青山高原)変更しようかと思った
1番目の目的終了・・・・今月の定例の詳細は、11/8(月)までにおっさんが決を下す!
2番目の目的を確認する前に「香良洲歴史資料館」に寄って事前学習を行なう

館内に入る前からワクワク品がたくさんある
伊勢湾から引き揚げたプロペラやエンジンが無造作に陳列

一番目目を引くのは「空冷複列星型14気筒発動機」(中島飛行機製の栄12型~21型)
昭和14年以降に量産され、97式3号艦上攻撃機、零式艦上戦闘機21型などに登載

かなり貴重なものだと思われるが、無造作・・・である
資料館入り口には、航空隊正門から移設された門が設置されている

ちなみに、現役中の正門

その他にも「点鐘台」(鈴鹿海軍航空隊のもの)

小物数点

館内に入ると、香良洲町の航空写真(1999年)がデ~ンとお出迎え
係員のおじさんがこれを示差しながら、丁寧な「香良洲町の歴史」のレクチャしていただける

「三重海軍航空隊」に関わる資料は3階に保管してあるが
3階のみ“写真撮影不可”であったので、数多くは載せられない
多くは「遺品」であったり「遺影」であったりするのだが
よくもまぁこれだけ集められたものだと深く感心する
差しさわりの無いモノだけ撮影させていただく
■兵舎
・・・一部のモノは戦後、小学校や中学校に移築されたようだ

■予科練生の机と椅子
・・・特に説明は無いが、しっかりとした造りである

■耐久競争(1万米マラソン)
・・・毎年12月25日に恒例化されていたらしいが、
「一人でも落後者が発生すると、
全員が最後のゴールまで四苦八苦のレースを強いられる」
の説明書きが何度読んでも理解できなかった

■一般競技、武技を練る
・・・毎日午後1時間~2時間の体育の時間に行なわれていたらしい
「マット運動」が“ありえない”状況となっている

■海軍の伝統カッター訓練
・・・「騎馬戦はお互いに闘魂をむきだしにして、
殴る・蹴る・突く・組みつくの勇猛果敢な闘争は壮烈をきわめる」
現在では即行で新聞沙汰になるだろう

■練習生の訓練(座学:普通学・軍事学)
・・・「陸戦は軍記教育、貴様等を陸戦で徹底的に絞り上げてやる、
と鬼教官のだみ声がすごむ」
これも、現在ではアウトだろう

■訓練機による実地練習

■ありえない「マット運動」

パネルを鑑賞するだけでお腹がいっぱいになる
右寄りに香ばしい雰囲気漂う資料館である
資料館の係員さんより
「兵舎エリアには、建造物の基礎が残っている」との情報を得てさっそく向かう
東側は「造成」というか、相当な量の土が運び込まれており、往時の面影は無い

西側には上物は全くないものの、兵舎と思われる基礎のコンクリートが確認できる

広い土地は手つかずのまま放置されている



CBで未舗装路をちょこっとだけ走った

そして正門跡に移動

今にも倒れそうであるが
正門につながっていた煉瓦壁が民家で現役で活躍中である

併せて、三重県に存在した“予科練”(海軍飛行兵養成制度)の跡地も見ておこうと
事前学習も行なった
土浦航空隊の次に昭和17年8月開隊された「三重海軍航空隊」は
三重県津市(統合前:一志郡香良洲町)の、デルタ地帯の東半分存在した

鈴鹿海軍航空隊・明野航空隊・陸軍33連帯の中間位置でもあり
立地条件が適していたとの事
拡大して、跡地を囲ってみた

1945年の航空写真(同範囲)

意味があるかわからんが、「今地図」に「1945年航空写真」を被せてみた

このあたりのジオラマ(後述する「香良洲歴史資料館」で撮影)

正門から東西に延びる道路を境に、
北が「兵舎(座学)エリア」南が「体術・訓練エリア」となる
「兵舎エリア」を、今地図の航空写真でみると
上の地図を拡大したりして見て欲しい
“それっぽい”遺跡が残っているような気がする
なお、この「三重海軍航空隊」は大規模な“教育施設”であり
所属する飛行機や滑走路はないまま、昭和20年8月の終戦と同時に3年で閉鎖された
終戦までの3年間に約65,000人が入隊し、
多い時には兵舎に約15,000人が在隊し訓練を受け
(当時は近鉄「香良洲駅」があり、“通学”もあった様子)
この内約5,000人が特攻要員などとして、祖国日本にため戦死した
am7:00、シールド内側に「曇り止め」を塗って自宅を出発
半袖Tシャツの上に“シャカシャカ”を被り、春秋用ジャケット着用だが
天気予報通り少々寒い・・・でも「クソ暑い」のと比較すると幾分か快適だ
清州東ICから上道に入る
「桑名-四日市、10km渋滞、40分要」の電光板がくどい
予告通り桑名から渋滞となるが「停止」のない渋滞で、ゆるやかな進行はある
路側帯は走らず(以前、それで捕まった人を目の当たりにした事がある)スリ抜けで先へと進む
結果20分ほどで渋滞を抜ける事が出来たのだが、面倒くさい
亀山PAも、初めて見る“満タン”の状態である
今月の定例(青山高原)変更しようかと思った
1番目の目的終了・・・・今月の定例の詳細は、11/8(月)までにおっさんが決を下す!
2番目の目的を確認する前に「香良洲歴史資料館」に寄って事前学習を行なう

館内に入る前からワクワク品がたくさんある
伊勢湾から引き揚げたプロペラやエンジンが無造作に陳列

一番目目を引くのは「空冷複列星型14気筒発動機」(中島飛行機製の栄12型~21型)
昭和14年以降に量産され、97式3号艦上攻撃機、零式艦上戦闘機21型などに登載

かなり貴重なものだと思われるが、無造作・・・である
資料館入り口には、航空隊正門から移設された門が設置されている

ちなみに、現役中の正門

その他にも「点鐘台」(鈴鹿海軍航空隊のもの)

小物数点


館内に入ると、香良洲町の航空写真(1999年)がデ~ンとお出迎え
係員のおじさんがこれを示差しながら、丁寧な「香良洲町の歴史」のレクチャしていただける

「三重海軍航空隊」に関わる資料は3階に保管してあるが
3階のみ“写真撮影不可”であったので、数多くは載せられない
多くは「遺品」であったり「遺影」であったりするのだが
よくもまぁこれだけ集められたものだと深く感心する
差しさわりの無いモノだけ撮影させていただく
■兵舎
・・・一部のモノは戦後、小学校や中学校に移築されたようだ

■予科練生の机と椅子
・・・特に説明は無いが、しっかりとした造りである

■耐久競争(1万米マラソン)
・・・毎年12月25日に恒例化されていたらしいが、
「一人でも落後者が発生すると、
全員が最後のゴールまで四苦八苦のレースを強いられる」
の説明書きが何度読んでも理解できなかった

■一般競技、武技を練る
・・・毎日午後1時間~2時間の体育の時間に行なわれていたらしい
「マット運動」が“ありえない”状況となっている

■海軍の伝統カッター訓練
・・・「騎馬戦はお互いに闘魂をむきだしにして、
殴る・蹴る・突く・組みつくの勇猛果敢な闘争は壮烈をきわめる」
現在では即行で新聞沙汰になるだろう

■練習生の訓練(座学:普通学・軍事学)
・・・「陸戦は軍記教育、貴様等を陸戦で徹底的に絞り上げてやる、
と鬼教官のだみ声がすごむ」
これも、現在ではアウトだろう

■訓練機による実地練習

■ありえない「マット運動」

パネルを鑑賞するだけでお腹がいっぱいになる
右寄りに香ばしい雰囲気漂う資料館である
資料館の係員さんより
「兵舎エリアには、建造物の基礎が残っている」との情報を得てさっそく向かう
東側は「造成」というか、相当な量の土が運び込まれており、往時の面影は無い

西側には上物は全くないものの、兵舎と思われる基礎のコンクリートが確認できる

広い土地は手つかずのまま放置されている



CBで未舗装路をちょこっとだけ走った

そして正門跡に移動

今にも倒れそうであるが
正門につながっていた煉瓦壁が民家で現役で活躍中である

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コメント
お疲れ様です
戦争の事実を忘れないためにも
“予科練”は「海軍飛行予科練習生」の略称で、当時の“超人気職業”らしく
採用は8倍~10倍の超難関だったようです
事前に地元の「資料館」で概要を頭に入れておくと
全体像がおぼろげながらつかむ事が出来、「ふ~ん」から「なるほど」になりました
今度、再度「清州飛行場」を地元の資料館で下調べしてから検証の予定があります
そん時には是非ご同行下さいませ
採用は8倍~10倍の超難関だったようです
事前に地元の「資料館」で概要を頭に入れておくと
全体像がおぼろげながらつかむ事が出来、「ふ~ん」から「なるほど」になりました
今度、再度「清州飛行場」を地元の資料館で下調べしてから検証の予定があります
そん時には是非ご同行下さいませ
清洲飛行場、都合が付けば参加したいです。昨日は、大平宿を見てガロって帰きました。そのまま帰る予定が鳥居峠経由になりました。紅葉の落ち葉の絨毯が濡れて最高でした。
清州飛行場
ネットでは探し切れない「地元の情報」が満載だと思われますので
清州飛行場は、現地視察より資料館での“座学”をメインに考えております
こんな企画でよろしければ是非、ご参加下さいな♪
(実は、お昼ごはんのが楽しみだったりして)
清州飛行場は、現地視察より資料館での“座学”をメインに考えております
こんな企画でよろしければ是非、ご参加下さいな♪
(実は、お昼ごはんのが楽しみだったりして)
コメントの投稿
父に「香良洲に予科練があった」と聞いた事があるものの詳しい事は知りませんでした。
私は調べる根性がないので今日のレポートは大変興味深く拝見しました。
ちなみに私の父は予科練と兵学校に落ち中島飛行機に就職。陸軍二等兵で終戦。
典型的な戦中派です。