10.12.26 納屋橋
「名古屋城」と言えば外せないのが“堀川”
名古屋城の建設とほぼ同時期に、
家康が豊臣軍団の暴れん坊「福島正則」に命じて物資輸送のために造らせた
名古屋城の外堀と熱田湊を結ぶ総延長約6kmの運河である
この約6kmの堀川の歴史も面白そうなのだが
今回は「堀川七橋」の内、最も親しまれている“納屋橋”を見学に出かけた
(昨日の「名古屋城」のついでに・・・)
①名古屋城
②納屋橋
③熱田湊(七里の渡し)
土木学会附属土木図書館のデジタルアーカイブスから、こんな写真を見つけた

この写真と同じ場所へ立つことを目的に
名古屋城を後にして堀川沿いに南下し、10分足らずで“納屋橋”に到着
上記の写真と同じ位置から撮影・・・たぶん

現在の“納屋橋”は、昭和56年に改修されているのだが
大正の橋の面影をずいぶんと残しているのがわかる
ちなみに、写真左上部に写っているのは「桜」である
まだ咲き始めだったので、年内は「桜と納屋橋」を見ることができると思う
改修時に作成された説明書き

説明書きにもある堀川の功労者「福島家」の家紋“中貫十文字”

何故か三英傑の紋まで
上から「五つ木瓜」の信長、「五三の桐」の秀吉、「三つ葉葵」の家康

そしてデジタルアーカイブスからもう一枚の写真

大正2年5月5日「納屋橋渡式の実景」とある
背後には「カブトビール」の名古屋支店の看板が確認できる
同じ位置から撮影したもの・・・たぶん

「カブトビール」は「中京海運」となっている
反対側(写真左端)の「加藤商会ビル」は現存しており
名古屋市の指定文化財にも登録されている
木橋時代の“納屋橋”も貼っておく
【明治19年ころ】

【明治45年ころ】

最後に「桜と納屋橋」も貼っておく

名古屋城の建設とほぼ同時期に、
家康が豊臣軍団の暴れん坊「福島正則」に命じて物資輸送のために造らせた
名古屋城の外堀と熱田湊を結ぶ総延長約6kmの運河である
この約6kmの堀川の歴史も面白そうなのだが
今回は「堀川七橋」の内、最も親しまれている“納屋橋”を見学に出かけた
(昨日の「名古屋城」のついでに・・・)
①名古屋城
②納屋橋
③熱田湊(七里の渡し)
土木学会附属土木図書館のデジタルアーカイブスから、こんな写真を見つけた

この写真と同じ場所へ立つことを目的に
名古屋城を後にして堀川沿いに南下し、10分足らずで“納屋橋”に到着
上記の写真と同じ位置から撮影・・・たぶん

現在の“納屋橋”は、昭和56年に改修されているのだが
大正の橋の面影をずいぶんと残しているのがわかる
ちなみに、写真左上部に写っているのは「桜」である
まだ咲き始めだったので、年内は「桜と納屋橋」を見ることができると思う
改修時に作成された説明書き

説明書きにもある堀川の功労者「福島家」の家紋“中貫十文字”

何故か三英傑の紋まで
上から「五つ木瓜」の信長、「五三の桐」の秀吉、「三つ葉葵」の家康

そしてデジタルアーカイブスからもう一枚の写真

大正2年5月5日「納屋橋渡式の実景」とある
背後には「カブトビール」の名古屋支店の看板が確認できる
同じ位置から撮影したもの・・・たぶん

「カブトビール」は「中京海運」となっている
反対側(写真左端)の「加藤商会ビル」は現存しており
名古屋市の指定文化財にも登録されている
木橋時代の“納屋橋”も貼っておく
【明治19年ころ】

【明治45年ころ】

最後に「桜と納屋橋」も貼っておく

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