11.01.05 消えた中島
去年2月、名鉄の庄内川に掛かる橋から目視できる「杭」に興味を持ち
それが、かつて存在した「中島」という集落だったことを知った・・・そん時のレポート
そして最近、偶然に「中島」についての資料を見つけ
前回の調査では不明だったことが判明し
再度検証を行なうこととした(ヒマだったとも言う)
おさらいのために場所を確認しておこう
昭和12年の「大日本帝国陸地測量部」発行の地図では
庄内川の中洲である“中島”が生活圏であることがうかがい知れる

さて、その“中島”
史上に現れるのは江戸期であり
“中島”を経由する「枇杷島大橋・小橋」を、多くの文化人が訪れ
漢詩や和歌、俳諧に多くの作品を残している
文化年間(1804~1814)の「美濃路見取絵図」には
茶屋2軒と弁天堂や題目石が見られる

明治期以降は民家が軒を並べるようになり
西春日井郡役所、枇杷島役場、公会堂をはじめ10数軒の民家や寺社があり
集落を形成、字名も「中島」であった

写真の建物は明治17年から大正15年まで「郡役所」として使われたが
庄内川の増水時には、島全体がしばしば浸水の被害にあう

明治32年に「日清戦争」の戦勝記念として郡役場の北に建てられた「征清記念碑」

大正末期の郡制廃止に伴い、豊山町に移される
(写真は豊山町での清掃作業)

しかし大戦中、その地が小牧飛行場用地に編入されるに及び
昭和17年に清洲公園に再移転した(銅柱部分は外された)

古くから存在する「黒體龍王大神社」は
“中島”の撤去が決まり、遷座することとなる
(写真は昭和28年祭神を輿に乗せ、松明の明かりをたよりに庄内川を渡る風景)

現在は庄内川左岸に現存する

「御由緒記」には
「当社は中島黒體龍王大神社と称し、御祭神は黒體龍王大神にましまし、位置は愛知県西春日井郡西枇杷島町大字下小田井字中島なり、御光明帝の御字慶安年間尚時枇杷の洲と言いし頃、此の地に立穀豊穂の祈願ありし時、夢幻の仲に御神体御出現あり龍神となって国土鎮護を守り・・・・昭和32年吉日」とある

400年近い歴史があるようだ
関ヶ原戦後間もないころから“中島”が存在したことが判明する
「西枇杷島町史」に“中島”の紹介がある
「名鉄が沿線各地に観光地を設けて、集客誘致策を講じたのは庄内川納涼会に端を発したのである」とあり
“中島”は名鉄による観光スポット第一号でもあったようだ
当時“中島”には料亭「仲仁楼」があり、利用客の舟遊びのためにボートを所有していた
写真はボートと一緒に撮った記念写真(昭和初期)

“中島”の周囲には、うっそうとした松林があり
観光客は庄内川での水遊びや、夕涼みに訪れていた
しかし、こうした華やかな観光・生活とは裏腹に
庄内川の最狭窄部にあった“中島”が庄内川の治水上最大の懸念であったことも事実だった
ついに“中島”の撤去が決定され、昭和25年から工事が始まり
昭和33年には完全に“中島”は姿を消した
“中島”の撤去作業
掘削はすべて人力で行われ、掘削した土砂は堤防両岸の腹付けや嵩上げに使われる
後方に見られるのは「枇杷島小橋」

“中島”の撤去により、「大橋・小橋」の二本の橋は一本の「枇杷島橋」となった
明治中期の枇杷島橋

濃尾地震で崩れた枇杷島橋

現在の枇杷島橋

名鉄の枇杷島橋下に残る遺構


今の“中島”の存在した場所を見ると、とても「居住」を想像することが出来ない
かつては「尾張藩の台所」として繁栄した“枇杷島”を物語る上で欠かせない“中島”を
容量の少なくなってきたオイラの記憶に留めておきたい
参照:にしびの文化財
さて、今日のお昼ごはん
“中島”からほど近いラーメン屋さんをあらかじめ物色しておいた
名鉄「中小田井」駅から約600mほどのお店である

事前の調査も完璧で、店内の券売機にて目標のボタンを押下する
厨房は、オーナー家族4名で万全の体制である

5分ほどで配膳・・・塩魚香麺(しおゆいしゃんめん)大盛、770円+100円

まずはスープを一口
その名のとおり“おさかな”の風味が、塩に負けない程度の自己主張
そいでもって麺は“プリプリシコシコ”の食感

数種類の生薬を使用するらしく“薬膳”のイメージで食するが
普通に美味しい
そんな、身体に良さげな美味しいラーメン屋さんは
■店名:臺大(だいだい)
■住所:愛知県名古屋市西区中小田井3-390 サンヴィレッジ 1F【地図】
■定休日:月・火曜日
■営業時間:11:00~14:00と17:30~21:00
■駐車場:お店の前に2台、マンションの裏に6台くらい
■食べログのサイト
・本日の走行距離:23km
・本日の食費:870円(塩魚香麺大盛)
それが、かつて存在した「中島」という集落だったことを知った・・・そん時のレポート
そして最近、偶然に「中島」についての資料を見つけ
前回の調査では不明だったことが判明し
再度検証を行なうこととした(ヒマだったとも言う)
おさらいのために場所を確認しておこう
昭和12年の「大日本帝国陸地測量部」発行の地図では
庄内川の中洲である“中島”が生活圏であることがうかがい知れる

さて、その“中島”
史上に現れるのは江戸期であり
“中島”を経由する「枇杷島大橋・小橋」を、多くの文化人が訪れ
漢詩や和歌、俳諧に多くの作品を残している
文化年間(1804~1814)の「美濃路見取絵図」には
茶屋2軒と弁天堂や題目石が見られる

明治期以降は民家が軒を並べるようになり
西春日井郡役所、枇杷島役場、公会堂をはじめ10数軒の民家や寺社があり
集落を形成、字名も「中島」であった

写真の建物は明治17年から大正15年まで「郡役所」として使われたが
庄内川の増水時には、島全体がしばしば浸水の被害にあう

明治32年に「日清戦争」の戦勝記念として郡役場の北に建てられた「征清記念碑」

大正末期の郡制廃止に伴い、豊山町に移される
(写真は豊山町での清掃作業)

しかし大戦中、その地が小牧飛行場用地に編入されるに及び
昭和17年に清洲公園に再移転した(銅柱部分は外された)

古くから存在する「黒體龍王大神社」は
“中島”の撤去が決まり、遷座することとなる
(写真は昭和28年祭神を輿に乗せ、松明の明かりをたよりに庄内川を渡る風景)

現在は庄内川左岸に現存する

「御由緒記」には
「当社は中島黒體龍王大神社と称し、御祭神は黒體龍王大神にましまし、位置は愛知県西春日井郡西枇杷島町大字下小田井字中島なり、御光明帝の御字慶安年間尚時枇杷の洲と言いし頃、此の地に立穀豊穂の祈願ありし時、夢幻の仲に御神体御出現あり龍神となって国土鎮護を守り・・・・昭和32年吉日」とある

400年近い歴史があるようだ
関ヶ原戦後間もないころから“中島”が存在したことが判明する
「西枇杷島町史」に“中島”の紹介がある
「名鉄が沿線各地に観光地を設けて、集客誘致策を講じたのは庄内川納涼会に端を発したのである」とあり
“中島”は名鉄による観光スポット第一号でもあったようだ
当時“中島”には料亭「仲仁楼」があり、利用客の舟遊びのためにボートを所有していた
写真はボートと一緒に撮った記念写真(昭和初期)

“中島”の周囲には、うっそうとした松林があり
観光客は庄内川での水遊びや、夕涼みに訪れていた
しかし、こうした華やかな観光・生活とは裏腹に
庄内川の最狭窄部にあった“中島”が庄内川の治水上最大の懸念であったことも事実だった
ついに“中島”の撤去が決定され、昭和25年から工事が始まり
昭和33年には完全に“中島”は姿を消した
“中島”の撤去作業
掘削はすべて人力で行われ、掘削した土砂は堤防両岸の腹付けや嵩上げに使われる
後方に見られるのは「枇杷島小橋」

“中島”の撤去により、「大橋・小橋」の二本の橋は一本の「枇杷島橋」となった
明治中期の枇杷島橋

濃尾地震で崩れた枇杷島橋

現在の枇杷島橋

名鉄の枇杷島橋下に残る遺構


今の“中島”の存在した場所を見ると、とても「居住」を想像することが出来ない
かつては「尾張藩の台所」として繁栄した“枇杷島”を物語る上で欠かせない“中島”を
容量の少なくなってきたオイラの記憶に留めておきたい
参照:にしびの文化財
さて、今日のお昼ごはん
“中島”からほど近いラーメン屋さんをあらかじめ物色しておいた
名鉄「中小田井」駅から約600mほどのお店である

事前の調査も完璧で、店内の券売機にて目標のボタンを押下する
厨房は、オーナー家族4名で万全の体制である

5分ほどで配膳・・・塩魚香麺(しおゆいしゃんめん)大盛、770円+100円

まずはスープを一口
その名のとおり“おさかな”の風味が、塩に負けない程度の自己主張
そいでもって麺は“プリプリシコシコ”の食感

数種類の生薬を使用するらしく“薬膳”のイメージで食するが
普通に美味しい
そんな、身体に良さげな美味しいラーメン屋さんは
■店名:臺大(だいだい)
■住所:愛知県名古屋市西区中小田井3-390 サンヴィレッジ 1F【地図】
■定休日:月・火曜日
■営業時間:11:00~14:00と17:30~21:00
■駐車場:お店の前に2台、マンションの裏に6台くらい
■食べログのサイト
・本日の走行距離:23km
・本日の食費:870円(塩魚香麺大盛)
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コメント
No title
相変わらず、スゴイ調査ぶりに、感動っす!
あ~ざ~っす!
同じ資料で“自主学習ネタ”を見つけました
名鉄の歴史だけでも当分ネタに困らないほど「満載」でした
このラーメン屋さん、少々お高いですが
丁寧な仕事がよくわかりますよ
“さかな”系を試すときは、スープを混ぜながら食してくださいませ
名鉄の歴史だけでも当分ネタに困らないほど「満載」でした
このラーメン屋さん、少々お高いですが
丁寧な仕事がよくわかりますよ
“さかな”系を試すときは、スープを混ぜながら食してくださいませ
No title
現在、東枇杷島にあるよねだクリニックの前身は
「中島の米田さん(ほねつぎ)」
です。
「中島の米田さん(ほねつぎ)」
です。
へぇ~
みんさん、情報ありがとうございます
そうだったんでんすね~よねだクリニックさん
「中島」出身の人が成功なされていて何よりです
ほねつぎも存在したんだ
そうだったんでんすね~よねだクリニックさん
「中島」出身の人が成功なされていて何よりです
ほねつぎも存在したんだ
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